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Channel: 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba
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Wed 120812 「ニャン」フェンブルク城 おあつらえビアガーデン(ミュンヘン滞在記4)

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 5月19日、ミュンヘン滞在2日目の午後は、定番中の定番ニンフェンブルク城を訪問しようと思う。岐阜に行って稲葉山城、姫路に出かけて姫路城、熊本を訪ねて熊本城。ミュンヘンのニンフェンブルク城は、それに負けないぐらいの定番であって、もしもそれを見逃せば「いったい何しにミュンヘンに行ったの?」と難詰されること請け合いだ。(ニンフェンベルク城 正面) 6年前の今井君は、まだそういう難詰をオソロシイと思う程度には臆病だったから、一夜のうちに膝まで積もった大雪(昨日の記事参照)をモノともせずに、一路ニンフェンブルクに向かったものである。 さすがのミュンヘンも大雪で交通機関がマヒ。路面電車もバスも、時刻表通りになんか走れるわけがない。路面電車の停留所で、クマ蔵は雪国のコドモらしく、来ない電車を我慢強くジーッと待ち続けた。笠地蔵になる寸前だったと言っていい。 20分ぐらいして、積もった雪を踏み分け踏み分け、一人の白髪のオバーチャンがこちらに向かってやってくる。その歩みのたくましさと言ったら、今井君が長い人生で目撃した中で最も信頼できる着実な歩みであった。(池とSchloss Nymphenburg 1) 船が遭難して、無人島に打ち上げられたとする。もう1ヶ月、船の帆影も見えない。島に自生するヤシの実で渇きを凌いできたが、さすがに体力の消耗は覆うべくもない。その時ふと、深いあきらめに朦朧とした視界を、おお夢ではないか、大きな船影が近づいてくる。 我が存在に気づいてくれたのだ。まさにその時、船の着実な接近が我々にもたらす安心感、信頼感、「ついに救われた」「神は我をお見捨てにならなかった」と天を仰ぎ気を失いかける絶頂感。おお、諸君、それを思ってみたまえ。(池とSchloss Nymphenburg 2) 雪に停留所に立ち尽くしたクマ蔵は、バーチャンの着実な歩みにそのぐらいの安堵感を覚えたのだ。うにゃにゃ、機械の力でいくら除雪してもまだ降り積もる雪の彼方から、バーチャンは今井君を救い出すために、一歩、一歩、また一歩、確実にこちらに向かって歩みを進めてくる。 バーチャンというものは、いつでも涙ぐんでいるものだ。黒っぽいスカーフで顔を覆ったドイツ・バーチャンの目にも、やっぱり涙が浮かんでいた。クマ蔵のすぐ目の前に立って、バーチャンはあきれたようにニヤリと笑った。(シュトラーセン・バーンこと、ミュンヘンのトラム) こういう場合のバーチャンの笑いは、「ニヤリ」とか「ニタリ」とかちょっと皮肉のニュアンスを混じえたもののほうがクマ蔵は好きである。「おやおや、何でこんな大雪の日に、あんたは日本なんかから来たんだね?」「日本のクマは非常識だねえ。こんな日は、宿の部屋でヌクヌクしているもんだよ」「どうだい、あったかいスープでも。湯気でお鼻を真っ赤にしながら、スープの中にパンをたくさん千切って入れて、お椀の中にスープをポタポタ垂らしながらすすってごらんよ」「ニンフェンブルクなんかに出かけるより、そっちのほうがずっと気が利いてるよ」 この類いの意地悪で皮肉な指摘なり提案なりをして、ニヤリと笑って去っていく。バーチャンがあんまり優しすぎると、クマ蔵は泣きそうになって声も詰まっちゃうから、ぜひそのぐらいで勘弁してもらいたい。(お城の前の運河) 6年前の大雪バーチャンは、「おやおや、寒いだろうに」みたいなことをモグモグ呟いたあと、「バスに乗んなさいな」「こんな雪じゃ、シュトラーセン・バーンは全然走らないだろうからね」と、こちらの期待通りニタリと微笑んだ。涙も凍りそうに寒い午後だったから、バーチャンも口がよく回らなかった様子である。 ところが、そのバーチャンのすぐ後ろからシュトラーセン・バーンの姿が見えた。マコトに奇跡的なことだが、膝まで埋まるような大雪の中、バーチャンと同じぐらい年とった昔ながらの路面電車がゴトゴト走って近づいてきた。 そう言え続きをみる

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Thu 120813 ドイツ最高峰を征服に向かう 今井史上でも最高峰(ミュンヘン滞在記5)

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 5月20日、朝9時に起きて、「さて、それではこれからドイツ最高峰ツークスピッシェを征服しに出かけよう」と心を決めた。 「ドイツ最高峰」と言えば、チロルから見上げるドイツアルプスを想像するから、4000m級のたいへんな登山になりそうだが、意外なことに標高は2962m。何だ、3000mにも届かない。3000m級の山なら、ノンビリ朝9時に起きて、暢気に顔を洗い、歯もキレイに磨いて、それからでも十分登頂できるだろう。(5月20日、ツークスピッシェ山頂で) もちろんホントの登山ならそういう軽率な発想は厳禁である。しかしこれからクマどんが決行するツークスピッシェ征服は、登山電車とロープウェイを乗り継ぐだけで、いきなり山頂に出る。登山靴も登山用の重装備も一切必要なし。たいへん気楽な登山である。 そもそも今井君は怠け者だから、自ら進んで困難に立ち向かうタイプの登山なんか大嫌いだ。流行中の「山ガール」などというのは、今井君には想像すらできない、マコトに不思議な世界である。(ミュンヘン中央駅を出発 1) それでも、数百年も生きていれば、「どうしても山に登らなくちゃならない」という状況に追い込まれることがある。今までの今井君の人生で、不本意ながら登山に追い込まれた経験が2回ある。 1回目が、秋田高校1年生のときの太平山登山。諸君、太平山とは、秋田市の西の外れに聳えるたった1170mほどのお山でござる。うにゃにゃ、あのときはツラかった。登山口からホンのちょっとのところでもうヘロヘロになって、登頂したときは口から心臓がポンと飛び出そうだった。(ミュンヘン中央駅を出発 2) 2回目は、大学2年のときの青森・岩木山。友人たち5~6名で青森を旅していて、「せっかく弘前まで来たんだから、どうしても岩木山に登ろう」と衆議一決してしまった。岩木山は1600mを超える。ちょっと絶望的な気分になった。 しかし多数決なら、多勢に無勢で致し方ない。「山に登ると、ボクの心臓は口からポンと飛び出そうになるんだ」と必死で抗議したって、「何言ってんだバカヤロー」「アホか」「がはははは♨」という笑いの渦に、弱々しい抗議はたちまち飲み込まれてしまう。もっともあの時は8合目だか9合目だかまでバスで行けたから、今井君の心臓は口からポンと飛び出さずに済んだ。(あのお山かな? 1) こういう困ったクマどんだから、富士山も、バスで行ける5合目まで。立山も、トロリーバスで行ける室堂まで。スキーは大好きだから、ゴンドラやロープウェイで行ける所までは行くけれども、蔵王やニセコでどんなに頑張ったって、せいぜい1500mぐらいの高さまでしか登れない。 だから、5月20日のツークスピッシェ2962mは、ドイツ最高峰であると同時に、今井史上最高峰でもある。ドイツアルプス3000m級からの眺望を思うと、まあ胸が高鳴らないこともなかった。(あのお山かな? 2) 「まあ…しないこともない」という煮え切らない表現を使うのは、やっぱり心配だったからである。だって、靴は普段の旅行用の靴。渋谷区笹塚のスーパーで買った5000円のヤツである。ズンボは、断捨離寸前のヨレヨレのズンボ1枚。上着は薄手のセーターだけである。 こりゃ横丁のダンナが散歩かパチンコ続きをみる

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Fri 120824 神々の領域だんべ アイブゼー 「水晶」を読みたまえ(ミュンヘン滞在記6)

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 こんなにカンタンに(スミマセン、昨日の続きです)ニュルッとチューブの外に押し出されてみると、今井君は返って何だか釈然としない。ドイツ最高峰に難なくたどり着き、美しいアイブゼーを眼下にしながら、「何の苦労もなく東大理Ⅲに合格しちゃった」みたいな、むしろ物悲しい気持ちである。(アイブゼー) 例えば、朝9時ごろボンヤリ起床して「東大にでも行ってみるかな?」と呟いてみる。それを聞いたパパも冷静そのもの。「おや、理Ⅲ志望か?」と溜め息をついて、すぐにまた新聞に目を落とす。コーヒーを一口すすって、苦そうに頬を歪めてみせる。 ママだってちっとも盛り上がっていない。「あら、あなた、東大に行くの?」と反応はするけれども、「理Ⅲって、ちょっとたいへんかもね」と首を傾げる程度。お弁当にカツを入れてくれるとか、キットカツとかゥカールとか、そういうバカなお菓子も用意してくれない。「気をつけてね」の一言もない。(アイブゼー拡大図) そこでまあ日本最高峰・東京大学の入試に行ってみることにして、代々木上原から千代田線に乗り、新御茶ノ水で丸ノ内線に乗り換える。南北線の東大前で降りてもいいが、ま、ここは正統派にしたがって丸ノ内線・本郷3丁目の駅から歩くことにする。 服装も散歩に出かける程度、履き慣れた靴に、セーター1枚、断捨離寸前のズンボ。緊張感、緊迫感、切迫感、そういう華々しい気分は一切ナシ。この日のために特別に用意したものもないし、「特別な1日だ」「人生を決める日だ」「この日のために励んできた」、その類いの高揚感からも遠い。 本郷3丁目で地下鉄を降りて、オジサマ&オバサマに後ろから押され、ハミガキみたいにチューブからニュルッと押し出されると、改札を出たところに人がいて、何だか書類を配っている。 「はい、どうぞ。あなたは日本の最高峰を征服しました」と軽く会釈しながら、茶封筒を手渡してくれる。封筒には「東大理科Ⅲ類 入学手続書類在中」と、素っ気ない文字で印刷されている。はじける笑顔、バンザイ、胴上げ、そんな興奮は一切なくて、最高峰征服はベルトコンベヤーの回転寿司式に着々と進んでいく。(間違いなく、最高峰征服 1) ま、そんなドイツ最高峰征服であった。ラクチンすぎて、達成感はほとんどなし。もちろん今井君はラクチン大好きの怠け者だから、「達成感がないから、どんな成功も不満」みたいなワガママは言わない。最高峰征服には間違いないのだから、ミュンヘン滞在たった3日目で達成したこの快挙に、天にコブシを突き上げて快哉を叫びたい。(鳥たちも歓迎してくれた) しかし世の中には、こんな感覚で東大理Ⅲに合格していく人も、きっと大勢いるはずなのだ。「なぜ世間が『東大!!』『理Ⅲ!!』と大騒ぎしているのか、サッパリわからない。そもそも理Ⅲなんかに合格するのに、何で懸命に受験勉強なんかしてるんだ? 普通に生活していれば、東大なんかに不合格になるなんてあり得ないじゃないか」おお、クマ蔵から見れば神のような人たちである。 そういう人たちのことを考えると、今井君なんかはヨダレを垂らすほど羨ましく感じると同時に、「果たして、そんなに優秀で、ホントに幸せなのかな?」とムラムラ疑問が湧き上がる「ママ、東大に合格したよ」→「あら、そう」とか、「お父さん、ボク理Ⅲ合格だって」→「ほぉそうか。パパいま忙しいから、話はあとで聞こう」とか。うにゃにゃ、何だか可哀想である。(間違いなく、最高峰征服 2) 大量の汗水を垂らし、艱難辛苦を克服し、七転八倒の苦しみを乗り越えてでなければ、人間にとって最高峰征服は不可能である、その程度のonly humanな愚かさがあるからこそ、人生はこんなに楽しいんじゃないか。 こうして、神々に憧れる以上に、汗臭く泥臭い人続きをみる

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Sat 129815 インスブルックに小旅行 再びトゲトゲお山を征服(ミュンヘン滞在記7)

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 5月21日、昨日と同じように朝9時に起きて、やっぱり朝のボンヤリした気分の中で、「今日はインスブルックに行ってこようかな?」と決めた。昨日がガルミッシュ・パルテンキルヒェン、今日がインスブルック。どちらも遠いむかし冬季オリンピックが開催された町である。 地図を見れば分かることだけれども、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンとインスブルックは、ドイツアルプスを北と南から挟み撃ちにするような形で対峙している。直線距離で見れば目と鼻の先だが、真ん中に3000m級のトゲトゲお山が「これでもか!?」というぐらいにニョキニョキたくさん立ちはだかっている。(今日はインスブルックのトゲトゲお山を目指す) 昨日がアルプスのドイツ側、今日はアルプスのオーストリア側というわけだ。今日は同じドイツアルプスをオーストラリア側から征服することになる。かかってこい、ドイツアルプス。手当たり次第にどんどん征服してやろうじゃないか。 「あれれ、今井先生って、そんなにトゲトゲお山が大好きだったんですか?」であるが、何しろこの怠け者のクマは、昨日のツークスピッシェで調子づいている。電車やロープウェイを乗り継いで手軽に征服できるなら、いくらでも征服してくれんず(「くれんとす」からの軍記物語系短縮形)。怠惰で卑怯なクマどんは機械の力を100%頼り、名ばかりのアルプス退治に2日連続で出かけることにした。(周辺地図。「地球の歩き方 ドイツ」より) 昨日はミュンヘンから各駅停車でゴトゴト行けばよかったが、今日のインスブルックは国際列車に乗らなければならない。インスブルックに一番早く到着するEuroCityは、何とヴェネツィア行きである。ドイツ→オーストリア→イタリアと、国境を2つも超えていく。 ドイツ国鉄DBの素晴らしいのは、駅の自動販売機が勝手に「一番速いルート」「一番安いルート」「帰りの推奨ルート」を表示してくれること。表示だけじゃなくて、キップと同じ名刺大の紙に印刷もしてくれる。もちろん日本だって「駅探」みたいなサイトで検索すればできることだが、駅の自動販売機のサービスにいち早くこれを取り入れたのが、さすがドイツである。(ミュンヘン発ヴェネツィア行きに乗車) この日は週末である。ヴェネツィア行きは満員だ。ヴェネツィア自体スンバラシイ町だが、2つの国境を跨ぎ、アルプスを縦断してイタリアに至る鉄道の旅がまたロマンティックである。例えばゲーテが何度か旅してイタリアへの憧れを綿々と綴った経路は、ほぼこの電車の路線に一致するはずだ。 おお、ヴェネツィアもいいね。今井君が最近ヴェネツィアを旅したのは2005年2月と2007年5月。おお、もう4年も5年もご無沙汰している。このままこの電車に乗って、ヴェネツィアまで旅してもいい。(インスブルックに到着したEuroCity) そのぐらいの気まぐれは自由自在の今井君だけれども、6人入れるコンパートメントの余りの騒がしさに辟易して、やっぱり旅はインスブルックまででヤメることにした。いやはや、美しい車窓の風景なんか全く眺めることなしに、延々と続けられる女性2人の世間話。まあ災難であるが、鉄道の旅ではしょっちゅうこの災難に遭遇するから、一定以上の覚悟は常に必要だ。(インスブルックの町。後方に目指すトゲトゲお山が) インスブルックは、田舎町である。電車を降りて駅前に立ち、「おやおや、何にもないね」と呟やかざるを得ない。駅から町の中心までは離れているので、閑散とした昼の商店街をトボトボ20分ほど歩いていく。真っ赤なトラムは可愛らし続きをみる

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Sun 120816 ラムジー軍団 アルプスの少女 酔生夢死のこと(ミュンヘン滞在記8)

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 5月21日、インスブルックの町から登山電車とロープウェイ2本を乗りついでトゲトゲ山の頂上にたどり着いてみると、近くの斜面からカラコロカラン♡ガラゴロガラン、家畜の首につけた鈴の音が聞こえてくる。ウシかヤギか、近くの牧場で放牧しているに違いない。 こんな山の中の断崖絶壁に放牧して何の利益があるのか分からないが、まあウシではなさそうだ。ヒツジとヤギの区別が一瞬でつくほど動物には詳しくないけれども、山のテッペンで放牧するからには、山の羊さん→山羊さん=ヤギさんである可能性が高い。(トゲトゲ山のラムジー君たち 1) やがて岩陰から姿を現した2頭は、写真のようなケモノであった。どこまでもどこまでも草を噛みながら岩を登って、とうとうこんな断崖の上までたどり着いたわけだ。 もっと麓に近い場所の草だって同じぐらい美味しいだろうし、今井君が思うに、おそらく麓の草のほうがずっと旨いはずである。何が楽しくてこんな岩山のテッペンまで登ってきたのか、サッパリわからない。思えばケモノとは、マコトに愚かなものである。 しかし諸君、そういう不用意な発言こそ「天にツバする」の典型であって、吐いたツバは即座に今井君の頭上に降りかかってくる。「そういうオマエこそ、何を好き好んで東京→ミュンヘン→インスブルックとはるばる旅してきて、こんな岩山のテッペンなんかでヤギと戯れておるんじゃ?」。マジメな神様にマジメに問いかけられれば、グーの音も出ない。パーもチョキも出ない。ヤギさんたちといっしょにメエメエ唸って退散。カラコロ♡ガラゴロ♡ガラゴロン。山の草はウンメエなあ。そう唸ってゴマかすしかない。マジメな神様は、ホントにオッカナイものである。(トゲトゲ山のラムジー君たち 2) 改めて写真を見てみるに、こんなに毛がモコモコ生えたモコモコぶりは、どうも幼い頃の今井君が居抱いていたヤギさんのイメージに合致しない。ヤギさんって、もっと細くてゴツゴツしていて、アゴのあたりから長い毛の生えた、賢そう≒意地悪そうな目つきのヤツじゃなかったっけ? よく分からないし、区別をつけたところで何にもならないから、今井君は彼らをラムジー軍団と名付け、軍団の1頭1頭をラムジー1号/ラムジー2号と番号をつけて呼ぶことにした。数えてみるにラムジー軍団は約15頭の群れをなして行動しているようである。(インスブルックのトゲトゲお山で 1) ただし「群れ」という場合、英語ではherd/flock/swarm/run/cluster/flight/troop/school/gameなどメッタヤタラに該当する単語があって、その区別だけで論文が書けそうである。 ウシとかウマとかゾウみたいなゴツゴツしたケモノの群れなら、herd。水鳥とかヒツジみたいにフワフワで、羽毛布団を作りたくなる群れだったら、flock。烏合の衆みたいに同類が単にウヨウヨしているのではなく、群れの中にチームとして役割分担があるなら(アリとかサルとかハチとかなら)troop。ま、ごく大雑把でいいなら、そんなところか。 もちろん、こんなにカンタンに割り切れるわけではないから、興味のある人は自ら研究して、論文を書きたまえ。それぞれの単語がどこからどう発生したのか。時代による変遷はどうか。どんな作家がどんな場面でどう使用したのか。人間の群れについてはどう応用されているのか。たいへんだろうけれども、ヤリガイのある研究テーマかもしれない。うまく進めば、社会学の世界も待っている。(インスブルックのトゲトゲお山で 2) うーん。インスブルックの山の中でラムジー軍団を見ただけで、こうして今井君の頭はどんどんモヤモヤしてくるのである。 確かにヒツジは群れを作って行動するはずだが、ヤギさんって、群れを作るんだっけ? コドモの頃の絵本では、ヒツジさんはいつも集団で寄り添っていたけれども、ヤギさんはたいてい1人で孤立して、ひねくれた一言居士というか、格言じみた皮肉な一言を残して去っていく、そういう存在だったように思う。(夕暮れのイン河) こうなるともう「教えて、おじいさん」「おしーえてー、おじいさんー」と村の長老を頼る以外になくなってくる。こうして今井君は、オーストリアの深い山の中でアルプスの少女ハイジと化すことになる。 こんなクマみたいなヒゲ面でハイジを名乗るのはさすがに恥ずかしいから、「続きをみる

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Mon 120817 リニューアル計画進行中 インスブルックの印象(ミュンヘン滞在記9)

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 すでに予告したブログのリニューアルであるが、諸君の心配をヨソに現在着々と計画進行中である。もちろん「リニューアル」と言っても、極端に変更することはない。マイナーチェンジが4点か5点重なる程度である。 それも、一気にガバッとスタイルを変えて読者をビックリさせるようなことはしない。1点ずつ着実に変更していって、10月末ごろ気がついてみると「あれれ、ずいぶん変わったな」と実感するような、マコトに地道な変更を積み上げていく。(インスブルックの町並み 1) 何と言っても「記事の長さ」が問題であって、少なくとも今の1/3程度の長さに縮小しないと、誰より読者が迷惑する。例えば昨日の記事だって、マジメな人はフツフツと怒り出し、Kuso-Majime人は怒り心頭に発し、Chou-Kuso-Majimeな先生なんかは「これは文章の悪い見本だ!!」と絶叫するに違いない。 「まず主題を決める」「何を書くのか、テーマをハッキリさせる」。国語や論文の書き方の時間に、高田屋先生みたいなマジメな先生(昨日の記事参照)が教えるのはそれである。「書きたいことや、読者に伝えたいことがあるからこそ、文章を書くんだ」。だからこそ、読者のほうも「筆者の主題は何か?」を読み取ることを第一に読むことになっている。(インスブルックの町並み 2) 今井君は、そういうマジメな人ではない。いちいち「筆者の主題は何か?」なんてやっていたんじゃ、読書はサッパリ楽しくない。むしろ「筆者はどんな魂胆か?」のほうが、ずっと楽しいこと請け合いだ。 「魂胆」というコトバが、今井君はまず大好きである。「文章書いて、カネを稼いで、印税で暮らしたい?」「イケメン作家になって、彼女をいっぱい作りたい?」。「作家の世界でEXILEになりたい?」、若い女性作家なら「文章の世界でAKBみたいになりたい?」だって構わない。 書くヒトの魂胆を探りながら読む。ついでだから、どんな顔して書いてるのか、どんなカッコで書いてるのか。書く前に食べたランチは(ディナーは)(おやつは)何か、肉か魚か、お寿司かウドンか。いま飲んでいるのはどんなお酒か。書きながら聴いてる音楽はどんな曲か。(インスブルックの町並み 3) 誰の文体をマネしているのか。気づかないうちにどんな作家の影響を受けちゃってるのか。いまコイツは日本にいるのか、日本にいそうで、実はミュンヘンとかフランクフルトにいるんじゃないか、いや、それどころかブエノスアイレスにいたりしないか。 アルゼンチンの肉をたらふく食らいつつ、ミュンヘンにいるみたいな顔をして、ニヤニヤしながらイスタンブールやインスブルックの旅行記なんか書いてるんじゃないか。いや、そういうフリをしていながら、実際にはもう東京に帰って、西麻布か代々木上原で焼き肉ジュージューしてきたんじゃないか。(インスブルックでも、ビアが旨い) 今井君は文章を読む時に、それがドストエフスキーでも石川淳でもシュティフターでも、必ずそういう読み方をする。高田屋先生には絶対に叱られるけれども、谷崎潤一郎や永井荷風を相手に「筆者は何を言いたいのか」「書きたいことがあったはずだ」では、さすがに読み方が貧相である。 「いまハナクソをホジらなかったか」「膝の上にどんなネコがいるのか」「これから何を食べに行こうとしているか」。そういうことに強烈な興味をもって読む。友人同士の付き合いと同じことで、筆者にからかわれ、逆に筆者をからかいながら読み進めば、秋の夜長のことだ、あっという間に1冊2冊読み上げて、外では朝のスズメがチュンチュン言い始める。 すると、あら不思議、「スズメはどんな魂胆で鳴きはじめたんだ」「ネコはどんな魂胆で寄ってきたんだ?」、コオロギやスズメやネコやラムジー君の魂胆まで詮索しはじめているじゃないか。鳥たちとコトバと交わせた聖フランチェスコって、こんな生活ばかりしてたんじゃないかと気づく瞬間、至福の瞬間である。(インスブルック 黄金の家) ところが、マコトに残念なことに、世の中にはそんな暢気な人は少ない、高田屋先生的な授業が中学や高校を席巻し、塾や予備校でもそういう先生が圧倒的だ。 「何を書いているか、読み取るんだ!!」という先生がたの絶叫は、それが余りに当たり前のことなので、今井君なんかは打ちのめされた気分になるが、生徒諸君の現代文のノートには「何が書かれているか読み取る!!」「主題を論理的に追う!!」と、真っ赤な文字で書かれていたり、蛍光マーカーで丁寧に縁取られていたりする。 野球なら「決めダマをしぼってバットを振る」。サッカーやバスケなら「ゴール目がけてシュートを打つ」。うへ、余りにも当たり前だ。「書きたいことを決めて書く」「作りたい料理を決めてからフライパンを熱する」「何を描く続きをみる

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Tue 120818 ドイツの不思議 出腹日記 ザワークラウトの恐怖(ミュンヘン滞在記10)

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 ドイツを旅していて慨嘆するのは、「人間とは、何と太りやすい動物なんだ」という一事である。油断もスキもない。中年グマの腹はあっという間に突き出してきて、さっきまで余裕で入っていたズンボがキツくなり、ギュッと踏ん張って腹に力を入れないと、ベルトがうまく締まらない。 写真は、ミュンヘン滞在4日目の5月21日、ザルツブルグに小旅行した帰りの電車での自分撮りである。題して「油断した中年男の3段腹」。ホントに3段になっているかどうか、真偽のほどは実地検分して確認してみなければ不明であるが、ミュンヘンに旅立つ前日より、すでにベルト穴が1個広がっていたことは確かである。(油断した男の3段腹を自分撮りする) このブログを初めて以来、今井君は自分撮りが異様にうまくなった。他人をモデルに写真を撮影するのはあまり上手ではないが、自分撮りならばそうカンタンに負けることはない。 自分を右隅2/3ぐらいの所に設定して背景を決め、1秒もかからぬハヤワザでシャッターを切る。するとあら不思議、写真の中の今井君は、道ゆく人に頼んで撮ってもらった以上に、楽しそうにニカニカ笑っているのである。(メイクに夢中のホットドッグ君 at ザルツブルグ) しかし諸君、この出腹はいけませんな。大昔、チェ・ゲバラの日記「ゲバラ日記」がベストセラーになった時、中年男たちは自分の腹を指さしながら「オレも日記を書こうかな、題して『出腹日記』でどうだ?」とダジャレに興じたものであるが、ウーム、この写真から判断するに、このブログも「出腹日記」にタイトル変更しなきゃならない。(ドイツのビアは、あまり冷えていないことが多い) では、「ミュンヘン滞在中に美食の限りを尽くしたのか?」と問われれば、全然そんなことはない。そもそも、ベルリンでもミュンヘンでもフランクフルトでも、ドイツという国で美食を求めるのはほぼ不可能なんじゃないか。 レストランで何を注文しても、基本的には「メトメト料理」が出てくる。お皿の真ん中には、何だかよく分からないソースに浸かったブタかニワトリの肉片。あとは大量のマッシュポテト。大量のザワークラウト。キャベツの酢漬けである。(メトメト料理の一例 at ザルツブルグ) 以上3種の食品が、お皿の中でメトメトに絡まりあって、どこまでがジャガイモでどこからがザワークラウトなのか、どこまでが肉のカタマリでどこからが付け合わせなのか、判然としない。 しかも、イモやザワークラウトのほうが肝腎の肉片よりもずっと量が多かったりする。「主客転倒」というコトバがあるが、ドイツのレストランのお皿の上では、主人公よりも脇役の自己主張が強烈で、主役はハムレットよろしく「生きるか死ぬか、それが問題だ」とイジケていることが珍しくないのだ。(創業803年、由緒ある洞窟レストラン「ザンクト・ペーター」) 2005年2月、冷たい雨の降るライプツィヒで「森鴎外もよく足を運んだ」という老舗レストランで入った。今井君は岩波の個人全集30数巻を購入するほど、森鴎外の大ファン。「ほほぉ、鴎外と同じ空間の空気をいま今井君は呼吸しているわけね」とか、まあその類いのフヤけた感慨に浸ったものである。 ところがマコトに残念なことに、運ばれてきた料理は、どれが主役でどれが脇役なのかサッパリ判断がつかない1皿。料理のタイトルを日本語に訳せば「お皿の上のいい加減」。銀座のイタリアンなんかで「シェフの気まぐれサラダ」みたいないい加減なのがあるけれども、そういうのさえ軽く凌駕するいい加減ぶりであった。(ザンクト・ペーター 扉) 5月19日はツークスピッシェの帰り、ミュンヘン市庁舎の地下の「ラーツケラー」で夕食。驚いたことに今井君はこの晩、食事の写真を1枚も残していない。カメラに残っていたのは、フランケンワインのボトルの写真だけであって、「何を食べたか」という記録は1枚もないし、何より驚くのは「記憶がない」ということである。 記録魔である以上に記憶魔であるこのクマ蔵が、記録がない以上に記憶までなくしているとすれば、これは由々しき事態で続きをみる

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Thu 120906 マリアンヌプラッツ 迷い込んだ場所を再訪する(ミュンヘン滞在記16)

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 9月30日、早くも9月が終わってしまう日曜日、大型台風が東京を直撃しようとしている不気味な空を眺めながらテレビをつけてみたら、今井君の馴染みのお店が画面に大映しになった。 日テレ系「誰だって波瀾爆笑」であるが、代々木上原「まんぷく」が「森公美子行きつけの高級焼肉店」として紹介されている。ゲストは陣内孝則。もともと陣内孝則の行きつけだったのが、いつの間にか森公美子に横取りされ、いつの間にか「モリクミ・スペシャル」なるものが出来上がってしまった。そういうスタンスの紹介である。 ま、ホントにモリクミ・スペシャルが存在するのかどうかは定かではない。脂タップリの豚ロースを、バターをタップリ入れた特製ソースで食べるなんて、そんな脂脂&脂だらけのシツコく&クドい焼き肉では、滅多な人の喉を通るものではない。(キウィ大将♡黒コゲMAX  ホフブロイハウスでの自撮りより) このごろの今井君は、この店にほとんど入り浸っていると言っていい。「半月で3回」というペースで「入り浸る」は少々言いすぎかもしれないが、注文するのはいつも「普通のロース」。脂身の最も少ない、肉質だけのロースをワシワシ食べまくる。 この間、ちょっと血迷ってロース以外の肉を頼んでみた。すると諸君、あっという間に脂のしつこさが胃袋から一気に脳天を直撃。いつもなら3皿でも4皿でも猛スピードで退治する今井君の胃袋が、脳天を脂で直撃されたせいか、何とも情けなく音を上げ始めた。眉間がガンガン痛むのである。「もういけません、ご主人様。何で脂なんか詰め込んだんですか、ご主人様。肉質ならいくらででも処理して差し上げますが、脂がヌルヌル&デロデロ流れ込むと、それだけで私は降参でございます、ご主人様」思うに、今井君の胃袋と脳天と眉間は、かよわいメイドさんたちで構成されているのだ。(焦げゆくキウィ君の自分撮り記録1  at ホフブロイハウス) さてミュンヘンであるが、5月24日、ホントに信じられないが「滞在残り2日」まで来てしまった。しかもテーマは「なんにもしない」。「何もしない」が目標だから、今日もまた昼前にホテルを出て、鼻歌を歌いながら暢気にホフブロイハウスに向かう。 ただ、さすがにあまり「何もしない」を貫きすぎると、自分でも「何だかバカげすぎているんじゃないか」「神様に叱られはしないか」「ホトケサマでも怒りだすんじゃないか」「ヨロンとかセロンとか、そういうものが動き出すんじゃないか」気の弱いサトイモ大将は、その種のモロモロが恐ろしくてたまらない。(焦げゆくキウィ君の自分撮り記録2  at ホフブロイハウス) そこで、ビアガーデンのテーブルに2日連続で腰を落ち着ける前に、「あそこに行っておこう」と決意する。「あそこ」とは、マリアンヌプラッツ。旧市街の中心マリエンプラッツから西に1km弱ほど、イーザル河畔の静かな広場である。 虫メガネ片手にガイドブックを矯めつ眇めつしても、マリアンヌプラッツを見つけることは困難である。7年前、初めてのミュンヘン滞在のある夕暮れに、シュトラーセンバーン(トラム)の降り場を間違えて、ふと入り込んでしまった寂れた街はずれに過ぎない。(発見したマリアンヌプラッツ) 一夜で50cmも降り積もった大雪の翌日である。初めて訪れたミュンヘンで、「マリエンプラッツ」と「マリアンヌプラッツ」を間違えてしまっても、別に不思議ではない。夕暮れ迫る雪に埋もれた裏町を、白い息を吐きながらさまよった記憶は、いまなお鮮烈である。 どういう野生の鼻が利いたのか、かじかむ両手をこすりあわせながら30分ほどさまよって、クマ蔵は目指すマリエンプラッツにたどり着続きをみる

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Fri 120907 オレンジ色の飲み物 カフェのドイツ人 断捨離を決行(ミュンヘン滞在記17)

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 ミュンヘン滞在が残り2日になってしまった5月24日、1日中入り浸ったつもりのホフブロイハウスから出てみると、残念ながらまだまだ日は高い。「なんにもしない1日」を過ごすことだけ考え、昼前に入店して、飲むは食べるは、怠けるはムサぼるは、怠惰の限りを尽くしたつもりでも、やっぱり日本人クマ蔵はマジメなのである。「もうこれ以上、ここで怠けていられない」という怠惰の限界が訪れた。 これは、大いに悲しむべきことであり、大いに恥じるべきことである。たった1日怠けていることが出来なくて、ほうほうの態で店からコソコソ逃げ出してくる。怠惰の素質がこんなに欠けていては、どうせ碌なことはできない。 しかし「もう飲めません」「もう食べられません」というところまで自分を追いつめ、それでもなお飲食店に座り続けるだけの胆力は、いまのキウィ大将♨黒こげMax(昨日の写真1枚目を参照)には持ち合わせがない。ビア大ジョッキ3杯とロゼワイン2本をカラッポにし、巨大プレッツェル2個平らげたところで、無理せず退散することにした。(ミュンヘンで流行中の「アペロール何とか」) それでもサトイモ閣下は、カールスプラッツのホテル「ケーニヒスホーフ」にたどり着く前に「もう1軒入ってみるかな」「カフェでエスプレッソぐらいのスキマは、まだ胃袋の中に残っているな」と考えた。 ミュンヘン到着以来1週間、ずっと気になっていた飲み物があった。グラスの中は淡いオレンジ色、少しピンクが混じっているかもしれない。微発泡らしくて、ごく小さなアブクがシュワシュワ立ちのぼっているように見える。 ドイツ人にカフェはあまり似合わない。カフェというのは、しなきゃいけない仕事があるのに、どうしても勤勉にサクサク仕事をこなす気になれず、「まあいいか」と頭をかきながら、自分で自分の怠惰を苦笑しつつ、いつまでもダラしなく座っている場所である。 そういう苦笑は、フランスやイタリアの人に任せておいたほうがいい。イタリアとフランスで、ギリシャとスペインで、その苦笑のニュアンスは少しずつ違うように思うのだが、「あーあ、ボクはダラしないな」「今日もマッタリ過ぎていくな」「今日も『なんにもしない』を満喫か。叱られちゃうな」「でも『ひたすら勤勉』なんてカッコ悪いや」、苦笑の根幹はそれである。(ケータイで話すオジサンも表情が険しい) ところがドイツでは、老若男女を問わず、カフェに座った人々は怠惰を満喫していない。勤勉でないことを恥じて、みんな難しい顔をしている。道ゆく人を渋い表情でを睨みつけ、早く本来の自分に戻りたい欲求を、ひたすら噛み殺している。 そんな彼らの前のテーブルの上で、オレンジ色の可愛い飲み物がシュワシュワ細かい泡を立てている。シュワシュワしていないらしいのもあって、シュワシュワはシャンパンがベース、非シュワシュワは白ワインがベースなのかもしれない。 早く勤勉な自分に戻りたくて、苦虫を噛み潰したようオッカナイ顔。こんなところで時間をムダにしているヒマがあるなら、早く仕事を仕上げて、余った時間は自分の好きなことに使いたい。そういう前向きな欲求を押し殺すのは、確かにこの世で最も難しいことかもしれない。勤勉なドイツ人にとって、一種の修行の色彩さえ感じる。(シュパイゼカルテの下のほうに、2種類の「アペロール何とか」が見える) ホフブロイハウスで怠惰に浸りきれずに敗北した今井君も、カールスプラッツ近くの1軒のカフェに座って、オレンジ色の飲み物を注文してみた。名前は知らないが、「おそらくこれだろう」と見当をつけて「Aperol何とか」をお願いしてみると、コワい顔をしたウェイトレスのお姉さんが、すぐにオレンジ色のシュワシュワを運んできてくれた。おお、命中でござるね。 あとで調べて分かったのは、この「Aperol何とか」はイタ続きをみる

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Sat 120908 東京駅に感動 アンディ・ウィリアムズ ムーンリバーとキャリーとMr.Big

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 10月1日、用事があって東京駅に出かけると、駅前は恐るべき人出であって(Mac君は「恐るべきヒトデ」という恐るべき怪物を作り出してくれたが)、東京駅復元工事完成を祝い、美しい赤レンガの駅を老若男女こぞって写真に収めていた。 思えば6年近くかかった大工事の完成であって、マコトにマコトにおめでたい。6年前、まだ2階建てだった駅舎の中に、古ぼけた「ステーションホテル」が残っていた。2階のレストランを何度か利用したが、木製の階段がギシギシ鳴る音が印象的だった。(東京駅 10月1日) 内田百閒の弟子たちが、毎年の師匠の記念日に大宴会「摩阿陀会」を催していたのが、この略称「ステホテ」である。摩阿陀会とは、「まだ天国に行かないの?」の意味で「まあだかい?」であり、老いた百閒の答えは「まあだだよ」であって、その辺の事情を手っ取り早く知りたい人には、黒澤明の映画「まあだだよ」もある。松村達雄と所ジョージが泣かせてくれる。ただし映画では、内田百閒の随筆を読む楽しみの1/100にもならない。 中身なんか全くないのに読んで口が曲がるほど楽しいのが百閒随筆。オコガマシイもいいところだが、今井君が人生のお手本にしているのは、実はステホテで弟子たちに囲まれてご満悦の百閒の姿である。ビアの飲み方、シャンパンの飲み方、手許が曖昧になるぐらいの酔っぱらい方、すべてに東京駅ステーションホテルによく似合う。(内田百閒コレクション。今井君は文庫で著書すべてを読破した) 何を隠そう、今井君が最も頻繁に利用する駅がこの東京駅である。代々木上原の自宅から最も近い国鉄の駅は、新宿、代々木、原宿、渋谷。この4駅すべて、自宅から徒歩で25分ほどしかかからない。 しかし、出張でもプライベートでも、今井君は赤レンガの東京駅からのスタートにこだわりたい。だから、代々木上原からは地下鉄千代田線に乗って、二重橋前の駅で降りる。地下鉄・二重橋前駅と国鉄東京駅とは地下道でつながっていて、雨の日でも全く濡れることなく東京駅に出る。断っておくが、東京駅はあくまでも「国鉄」。JRだなんて、あんまり惨めで、威風堂々たる東京駅には似合わない。(夕暮れの東京駅 まだ建設資材が残っている) 東京駅は、日本人としてサトイモ男爵が誇りに思うもののうちの一つである。もちろん今井君は大の日本好きだから、世界に向かって誇りに思うものは千も万もあるが、東京駅はその「千も万も」のうちのトップクラス。下手をすればトップ3の中にさえ入ってしまいそうだ。 だって、こんなにキレイで清潔で、美しく堂々と偉容を誇る鉄道の駅なんか、世界中を歩きつづけるクマ蔵どんでさえ、他に見たことがない。NYのグランドセントラルだって、ロンドンのチャリングクロスやヴィクトリア駅だって、多くの名画に描かれたパリのサンラザール駅だって、東京駅には到底かなわない。 他に、どこがある? マドリードのチャマルティンにアトーチャ? ローマのテルミニ駅に、ミラノのチェントラーレ? 残念ながらサトイモどんはまだモスクワ中央駅を目撃していないが、いま目の前に復元完成された3階建て赤レンガの東京駅をうち仰いで見るに、その治安の良さ、人々の整然と抑制のきいた行動や知性的態度まで含めて、サトイモ君の心のナショナリズムを沸騰させるに足る、まさに圧倒的な勇姿と言っていい。(東京駅ドーム拡大図) この前日、9月30日の東京は、朝のうちの晴天にも関わらず、台風17号の接近に伴って、午前10時頃から空は一面の黒雲に覆われた。昼前にはザアーッと雨が降りだして、今井君の「台風クラブ」的熱狂を目覚めさせた。 いろいろ難しいヒトがいるから、「台風が最接近して風雨が強くなると、今井君はTシャツ1枚で表に駆け出して絶叫する」という事実をここに書き記すことは憚られるが、ま、それに類するいかにも小学生男子っぽい行動をとっていることは、読者諸君も知っておいてくれたまえ。 夜半、台風が最接近し、東京も暴風雨圏内に。さすがのキウィ閣下も若干コワくなって、お部屋の中に籠って過ごした。他にすることがないので1週間分の新聞をめくっていると、何と「アンディ・ウィリアムズ死去」のニュースが出ている。諸君、「ムーンリバー」である。「アンディ・ウィリアムズ・ショー」である。 今井君がコドモの頃、NHK日曜夜のアンディ・ウィリアムズ・ショーがとにかく大キライ。「竜馬がゆく」「天と地と」など、全盛期の大河ドラマの激しい興奮の後、「何でこんなツマラン番組が続くんだ?」という憤怒さえ湧き上がった。続きをみる

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Sun 120909 汽笛一声、戸塚で講演会 なぜT行で笑うのか キウィ男爵の超絶技巧

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 10月1日、復元完成した美しい東京駅に感激しながら、「汽笛一声、新橋を」を心で高唱しつつ、今井君が東海道線グリーン車で向かった先は、横浜市の戸塚である。 あらま、せっかく「汽笛一声」の鉄道唱歌まで持ち出したのに、行き先があまりに近い、近すぎる。新橋、品川、川崎、横浜、戸塚。たった5駅でもう目的地だ。出来れば神戸か京都か、せめて浜松か静岡、それがダメでも熱海あたりまでは行きたかった。 しかし諸君、今日の今井君は物見遊山の旅をしているのではない。駅弁にお茶、ビールにおつまみ、日本酒4合瓶、冷凍ミカン、そういう人生のご褒美みたいなのは全てオアズケである。 今日のキウィ閣下は、ムズかしい謹厳実直なお顔をして、戸塚で下り東海道線にサヨナラを告げなければならない。アウフ・ヴィーダーゼーエンであり、アスタ・ルエゴであり、オー・ルヴォワールでござる。 横浜市戸塚での講演会、19時開始、20時半終了、出席者260名。「初めて東進に来てみました」という高校生も40名ほど、保護者の方の参加も多数あって、サトイモ大将はいつもと同じように暴発ギリギリのラインまで盛り上がった。(横浜市戸塚で講演会 1) 会場は、戸塚駅から徒歩5分の「男女共同参画センター」。うーん、「男女共同参画」とは、ずいぶん時代がかったお役所言葉であるが、さすがお役所だけあって、そのあまりに見事な杓子定規に圧倒される。 「控え室は5時50分からです」ということになると、5時45分に到着しても絶対に「5時50分から!!」であって、その5分で誰ひとり損も迷惑もしないのに、意地でも部屋への闖入を許さない。 今井君は、自分自身が国鉄職員の息子であるから、杓子定規が大好き、愛してさえいる。軟弱な臨機応変なんか大キライ。そうだそうだ、そうやって無意味に意地を張らなきゃ、お役所の名前が泣くじゃないか。 同じように、「会場からの撤収は21時に完了」ということなら、5分だろうと3分だろうと、遅れは激しい叱責の対象になる。意地でも21時には「何事もなかったようなモヌケのカラ」の状態に戻さないと、まるで極悪人のように叱られる。 だから、「盛り上がったんで、ついつい延長しちゃいました」とか、イタリア人やスペイン人みたいな、スギちゃん的「南欧の血が燃えるゼェ」タイプの行動は許されない。おお、素晴らしいじゃないか。杓子定規じゃなきゃ、「官」でも、お役人でもない。 こうなると、今井君は思わず「杓子定規対抗戦」を挑むことになる。1分だろうと1秒だろうと、1cmだろうと1mmだろうと、一分のスキもなく杓子定規をやってみせる。こっちだって国鉄職員の息子だ。時間ピッタリで始め、時間ピッタリでケリをつけて、スタッフの皆さんが絶対に叱られたりしないように全力を尽くすのみだ。(横浜市戸塚で講演会 2) 集まった260名は、冒頭から完全に呆気にとられてしまう。「ノッケからハイテンション!!」の類いの入り方はしないが、「日本の若者はなぜT行で笑うのか?」という問題提起が余りにも意外なので、一気にのめり込んでしまう。だって諸君、「ちー」とか「つー」とか、T行で冷たく笑うのは、21世紀日本の若者に限定された異様な現象である。 実際に講演会場に足を運ばなければ、この話の面白さは分からないだろうが、「ちー」「つー」の他に、最近は「たっ!!」「てっ!!」という冷笑・嘲笑・失笑も目立つ。なぜ「テルマエ・ロマエ」ほどに楽しい映画を見ながら、日本の若者は「ちー」と冷笑し、「てっ」と失笑するのか。それは理解の拒絶であり、コミュニケーションの拒否であり、カタクナさの象徴ではないか。(今井君のアングルから) カタクナに理解を拒絶し、コミュニケーションを拒否する人々にとって、英語の学習が何を意味するのか。日本語に「頑迷」というコトバがあるが、もっとH行で明るく笑わなければ、大きな口を開けて豪快に笑わなければ、コミュニケーションの上達は困難になるのではないか。 そういう話が冒頭5分ほど炸裂し、この5分ですでに「30秒に1回の大爆笑」という今井スタンダードが実現しはじめる。爆笑は決して「ちー」「つー」「たっ!!」「てっ!!」という冷笑ではない。例えば今日の戸塚では、260人中約250続きをみる

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Mon 120910 過去問解説が完了 3日連続のホフブロイハウスで(ミュンヘン滞在記18)

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 10月2日、午後から吉祥寺のスタジオに入り、明治大学文学部・2011年の解説授業を収録。10月4日には同じ明大文学部2010年の解説授業を収録して、今年の過去問解説授業は全て滞りなく終了した。 今年になってスタジオ収録した授業のほとんどがこのタイプの過去問解説で、国立大学5校(名古屋/三重/岡山/広島/熊本)、早稲田大4学部(政経/法/文/国際教養)、それに今年から新しく加わった明治大学文学部の3年分である。 いまや、ボクら講師は「歩く赤本」「動く赤本」の趣がある。少なくとも今井君はそうなので、解説授業以外の収録は4月に収録した「高3部活生招待講習」の3回分と、ミュンヘンから帰った直後の6月に収録の「高2生のための招待講習」5回分、計8回分だけ。あと、10月末に「新高3生のための招待講習」が5回分予定されているぐらいである。(ミュンヘンのニャゴロワ。触ると幸運が訪れる) 赤本や青本はあくまで入試問題の解説だから、あんまり講師の個性を前面に押し出すわけにはいかない。個性を出来るかぎり抑制して、誰がやっても同じ授業になるように努力する。 「誰がやっても同じ授業」というのが実は至難のワザで、よほどのベテランにならないと、個性の小枝や小骨がニョキニョキいろんなところから突き出てしまう。大きな毛布をかぶって個性を隠そうと努めるのだが、個性が強烈であればあるほど、どんなに隠そうとしても、鋭く尖った個性の小骨が毛布を突き破って表に顔を出す。(ミュンヘン・ニャゴロワの盾) そのあたりが未熟な証拠なので、今井君は懸命に「今はキミたちが出しゃばる時じゃないんだよ」小枝君たちに言い聞かせる。「今井独特の解き方」を前面に出して鮮やかに解いてみせたりすると、「今井にしか出来ないんじゃないか」「ボクには(ワタシには)こんな鮮やかな解法は無理なんじゃないか」という不安を生徒に居抱かせることになる。 つまり、個性的になればなるほど生徒の不安ばかり煽るわけで、解説授業で個性なんか発揮するのは「余計なこと」に過ぎない。そりゃそうだ。個性の小枝君たちをビュンビュン伸ばしていいのは、年間の単科講座を受講して「○○先生とトコトン付きあいたい」「そのことで爆発的かつ決定的に力を伸ばしたい」という生徒たちに対してだけである。(カールス門の近景) 今では予備校の模擬試験に解説授業がつくのは珍しいことではないが、初めて「解説授業」の付録がついたのは、1980年代の駿台「東大実戦模試」だったんじゃないかと思う。 文系は、英語が伊藤和夫師、数学が野沢師か根岸師か長岡亮介師、現代文が藤田師。日本史は安藤師、世界史は大岡師。当時の駿台を代表するヒトビトが登壇したが、その個性は徹底的に抑えられていた。構文主義の伊藤師が英作文まで解説するんだから、個性も何もあったものじゃない。(ホテル・ケーニヒスホーフからカールスプラッツを望む) しかし、ま、受講してみて、ちょっとぐらい今井君の個性がニョキニョキしていても、許してくれたまえ。明治大文学部の英語は、今井君が見た感じでは余裕がありすぎて、個性の一つもニョキニョキさせないかぎり、どうしても時間が余ってしまう。 偏差値的には早稲田や慶応と比較して極端に易しいワケではないのに、英語の入試問題だけ眺めてみると、異様なほどカンタンに見える。2012年と2011年はまだしも、2010年の読解問題2問は、うーん、こりゃどうしたって高校入試並みだ。解説しながら、「これじゃ、受験生みんな9割10割とれちゃうんじゃないの?」の溜め息が出る。(ホフブロイハウスのロゼワイン) さて、ミュンヘンであるが、いよいよ最終日がやってきた。東京を出たのが5月18日であるから、5月25日までで8日しか滞在していないことになる。いやはや、短い旅だった。たった8日の短い旅の中に、ツークスピッシェにインスブルック、ザルツブルグにパッサウと小旅行を4つも敢行したから、ますます短さを痛感するのかもしれない。 何でこんなに短い旅を企画したのかと言えば、①病み上がりだから、②東日本大震災の直後だったからである。ホンの半年前に網膜剥離で「右眼失明の恐れ」→緊急入院→緊急手術を経験したばかり。病み上がりもいいところであって、下手をすれば「無謀」の謗りを受けかねない。 大震災のことは、ここで書くまでもない。2011年5月と言えば、大震災の傷跡は癒えるどころか、むしろまだ拡大を続けてさえいた。こんな時期に外国旅行でもあるまい。ドイツやフランスの空港では、東京からの渡航者に対して厳重な放射線検査を行っているぐらいだった。(ホフブロイ続きをみる

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Tue 120911 10カ年計画 乗り継ぎ都市をスパイスにする ミュンヘン滞在記最終回

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 さすがに今回は10日未満の旅行だから、キウィ大将の旅行記もたった19回で最終回を迎えることになった。これは珍しいことである。プラハ/ブダペストとか、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラの時なんかは、優に40回を超えていたはずだ。 うーん、やっぱり10日未満では、今井君には欲求不満が残る。どうしてもまた近いうちミュンヘンに来たい。最近の「近いうち」は「実際には一切やる気なし」の同義語らしいが、今井君が「近いうち」と言ったら、絶対に近いうち。意地でも実現させてみせる。 今回は行かなかった町でも、ミュンヘンから日帰りでもっともっといろんな所へ小旅行が可能。ノイシュバンシュタイン城のあるフュッセン。ロマンティック街道のビュルツブルグ。ニュルンベルグ、アウグスブルグ、レーゲンスブルグ。その他いかにもドイツらしい内陸の中規模都市を、丸一日歩き回るのも楽しいだろう。(ミュンヘン滞在の思ひ出 インスブルックのヒツジさんたち) しかし、2018年までの今井君の旅行10カ年計画の中には、もうドイツは1つも入っていない。は? 何ですと? 「2018年までの10カ年計画」ですと? 諸君はビックリ仰天するかもしれないが、実は今井君は2008年5月、「これから10年間の外国旅行計画」を立案。「計画倒れはいけません」と日々生徒たちに熱弁をふるっている立場上、自ら立てた計画を着々と実行に移して、すでに4年が経過した。 いやはや、最初のころは「初級者コース」でござった。イタリアにフランス、ドイツにイギリス、スペインにポルトガルと、先進国ばかり。それもミラノやパリやロンドンやマドリードなど大都市滞在型で、日本国内ほどではないにしても、まあ安心して2週間が過ごせた。(ミュンヘン滞在の思ひ出 ザルツブルグ風景1) それがこの2~3年、次第に中級者コースに移行してきた。暴動が頻発するアテネ。国境でシリアとの戦闘が発生し、そのシリアから難民も大量流入中のトルコ。短時間誘拐など恐るべき治安情報が乱れとぶアルゼンチンにウルグアイ。うにゃにゃ、いまやサトイモ閣下は、中級者コースから上級者コースへの過渡期にあるとさえ言っていい。 2013年からの計画を見るに、まずロシアのモスクワとサンクトペテルブルグ。ポーランドのワルシャワにクラクフ。ルーマニアのブカレストなど、東欧圏で行き残した大都市訪問。まあしばらくは平穏なヨーロッパ圏がほとんどだ。 この間のブエノスアイレスがあんまり楽しかったので、リオデジャネイロとかサンパウロとか、南米の街にも興味が尽きない。モンテビデオやアスンシオンにも行ってみたい。うにゃにゃ、このあたりからは上級者コースに入ってくるでござるね。(ミュンヘン滞在の思ひ出 ザルツブルグ風景2) しかし諸君、今井君はもっともっと駄々を捏ねたいのである。「生きているうちに、どうしても行かなきゃイヤだ」という街の名前をあげると、誰に相談しても「ヤメといたほうがいいんじゃないか?」と、マコトに渋い顔をされる。 列挙すると、顔の渋さの順に、ダマスカス/バグダッド/テヘラン/アレクサンドリア/チュニス/カサブランカ/エルサレム、以上7都市。10カ年計画によれば、このレベルの上級者コースに挑むのは2017年ごろになっているから、まだまだ時間の余裕はタップリ。今のうちに上級の力を蓄えていこうと思う。(ミュンヘン滞在の思ひ出 標高3000mからアイブ湖を俯瞰) こういうふうだから、「近いうちミュンヘンにもう1度」という話にはなかなかなりそうにない。「じゃ、どうするんだ?」であるが、ここで今井君が考案したのが「乗り継ぎ都市への立ち寄りプラン」である。 2012年9月の旅はそのプランの試行でもあった。日本からアルゼンチンへの旅は、どうしてもアメリカのどこかの都市で乗り継ぎが必要。ならば、せっかくだから乗り継ぎのニューヨークに3日滞在して、ニューヨーク短期滞在を満喫してもいい。 アルゼンチンからの帰りの旅もドイツのフランクフルトで乗り継ぎだから、それならフランクフルトに3日滞在して、懐かしいライン河の街への小旅行もすればいい。マインツで1日、リューデスハイムで1日、フランクフルトとヴィースバーデンで1日。「乗り継ぎ都市で3日」というパターンで、旅は2倍にも3倍にも美味しくなるじゃないか。 ヨーロッパ・アフリカ・中近東への旅の時には、パリ続きをみる

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Wed 120912 長野のクマさん またウシを食いに行く アイリッシュコーヒーの強烈さ

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 たいへんだ、長野駅のホームでクマさんが電車を待っている。どこに行こうとしてるんだ? 近くの街まで、コグマの食べ物を買いに? 長野の駅前で用事を済ませて、これから山の住処に帰る途中? 暢気に電車を待っていたら、ニンゲンに見つかってたいへんなことになった。 右の秋冬スケジュールによると、今井君は10月末に長野で公開授業の予定。可哀想なクマさんが電車を待っていたホームに今井君もぜひ立って、クマさんが最後にノンビリ眺めた風景を追体験してみようと思う。まさか、無慈悲に射殺されるとは思わなかった。(クマさんってこんなに可愛いのに 東京・初台、新国立劇場で) ニンゲンたちは、よほどイライラしているのだ。麻酔による捕獲作戦ぐらい、官民総出で展開してくれると思っていた。「自分は、何か悪いことでもしたんだろうか」と自問自答しながら、黒いクマさんは河川敷を転がるようにスタコラ逃げていっただろう。 秋のハチが耳元でブンブン飛び回るのを、丸い耳をブルブルさせて追い払っただろう。冷たい河の水を心地よく思いながら、胸の真っ白なツキノワを撫でてみただろう。苛立ったニンゲンの銃声が響いて、余りにもあっけなく彼の一生が終わったのは、まさにその瞬間である。どれほど山に帰りたかっただろう。それを思うと、涙もろい今井君は殺されたクマの写真を見ることも出来ない。(虎ノ門・ルースクリスのフィレ肉310グラム 1) そんなことを言う割には、ウシの肉ならいくらでも食べて何とも思わない。ウシの命だって全く同じことで、無慈悲に殺されて食肉処理される彼ら&彼女らの最後の一瞬を思えば、高熱で焼かれて出てきたそのお肉をワシワシ咀嚼するなどという残酷なことができるはずがない。 しかしマコトに残忍なサトイモ閣下は、再び訪れた東京虎ノ門の名店「ルース・クリス」で、ウシのフィレ肉310gを注文。この店のステーキは、磁器の皿に載せたまま高温で熱するので、テーブルに出されてなお、皿の上の肉と脂がジュンジュン激しく音を立てている。 諸君、310gとは、310gである。アルゼンチンで500gの肉を毎日食べていたキウィ大将にとって、310gの肉など朝飯前であるが、日本のステーキ屋で310gとはなかなかたいへんなこと。普通なら120gとか150gとかをチマチマ焼いて、「タップリの肉汁がジュワー」だの「肉のアブラがあまーい」だの、それが日本のスタンダードだ。(虎ノ門・ルースクリスのフィレ肉310グラム 2) ところがいまサトイモ閣下の前でジュンジュン言っているのは、高級フィレ肉310g。この店のご自慢は、まるでローストビーフを切り分ける感覚の分厚いお肉。ギザギザのついたよく切れるナイフをかまえ、シュラスコみたいにシュルシュル切っていくだけで、爽快感は絶頂に達する。 付け合わせは大皿に「これでもか!!」と載っけられたブロッコリーの森。クマさんのたくさん住む豊かな森を想像しながらブロッコリーを切り分けていくと、野菜の苦手な今井君も楽しくてたまらなくなり、お皿の上の森林資源はあっという間に枯渇する。(ブロッコリーの森) 食後のデザートに最近続きをみる

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Thu 120913 ニャゴロワ近況 リチャード三世を観る 古いシェイクスピア全集と伯父

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 しばらくネコたちの写真を掲載していない。カメラを向けると逃げ回る、写真のギライのナデシコはともかく、クマ蔵と人間並みに会話を交わし、深夜に酒を飲んでいるとお相伴に姿を現すほど人なつこいニャゴロワの写真を掲載していないと、「ニャゴは大丈夫なんですか?」と、マジメな顔で心配してくれる人もいる。 諸君、心配はご無用である。ニャゴはまだまだ元気で、朝から晩までニャゴニャゴ走り回っている。腎臓病で「あと100日生きられるかどうか、わかりません」と獣医さんに宣告されてから、すでに600日が経過。しかし600日前とほとんど変わらない、白く美しい姿のままである。食欲も旺盛。食べるのに飽きれば、キウィ男爵とたくさんお話もする。(テーブルの上から下界を睥睨するニャゴ) ところが10月2日朝、ニャゴロワの様子がどうしてもおかしいことに気がついた。腰か、後ろの脚が痛いらしく、マトモに真っ直ぐ歩けない。痛くてテーブルにも椅子にも飛び乗ることもできない。テーブルに飛び乗って下の世界を睥睨するのが大好きなネコなのに、である。 お水を飲みに行くにも、ゴハンを食べに行くのも、脚を引きずり引きずり用心深く進んでいく。声もいつもより甲高く、か細く、哀れっぽくなって、「にゃご」というより「みー」と、子猫みたいにキレギレに呟いてみるばかりである。(ニャゴ。元気がない 1) 10月3日になっても、4日になっても、大好きなお酒の箱に入って、つまらなそうにジッとこちらをニラんでいる。ニラむのに飽きると、目を閉じて寝たフリをする。実際には眠ってはいなくて、ネコのくせに、イジらしくも、あくまで「寝たフリ」に過ぎない。(ニャゴ。元気がない 2) 2日と4日のクマ蔵どんは、吉祥寺のスタジオでずっと授業収録。あと、どうしても日本赤十字病院に行かなければならない用事もあって、ニャゴと一緒にいられない。出かけるサトイモ男爵を、ニャゴは箱の中からつまらなそうに見送るだけである。 「いよいよ『あと100日の命』の終わりがやってきて、腎臓病が脚にきたかな」と、今井君は絶望的になった。ニャゴがかわいそうでかわいそうで、食べたものも吐きそうなほど心配。もう何も手につかない。(ニャゴ。元気がない 3) ニャゴが一気に回復したのは、5日の朝から6日にかけてである。何事もなかったかのような平然とした表情でそこいら中を闊歩し、椅子にもテーブルにも飛び上がり、ナデシコと追っかけっこを開始。長いシッポもピンと真っ直ぐ上に立てて、すっかり上機嫌になった。 6日夕方にはいよいよ調子に乗って、階段を猛スピードで駆け下りたり、重いカラダを揺すりながら駆け上がったりしはじめた。川越の講演会から帰ってきたクマ蔵を、「ご苦労」と出迎えてくれたわけである。ネコのクセにお出迎えなどというのは、いかにも人好きなニャゴロワどんらしい。(ニャゴの代理でテーブルを占領したナデシコ 1) 猛スピードということになれば、身軽なナデシコの猛スピードにニャゴは全然かなわない。ナデシコのカラダのキレは、眺めているだけでホレボレするほどである。しかし大っきな白いネコが轟音を立てながらお出迎えに走り降りてくる姿は、まさに雪崩を思わせる。雪崩ちゃんは、こうしてすっかり元気を取り戻した。 要するに、高い所から飛び降りた時に打撲したか、足の爪を痛めたか、そういう軽いケガに過ぎなかったのだ。やれやれ、安心安心。今井君が虎ノ門の名店に分厚い肉をワシワシやりに出かけられたのは、「ニャゴはまだまだ2年でも3年でも元気でいてくれそうだ」という大きな安心感のおかげだったのである。(ニャゴの代理でテーブルを占領したナデシコ 2) 安心した今井君は、新国立劇場に芝居を見に行くことにした。代々続きをみる

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Fri 120914 西武新宿駅について実感すること 川越で講演会 サトイモ大将の実感

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 10月6日、15時から埼玉県川越で講演会。土曜日ということで、講演会は15時開始だから、正午にはもう代々木上原を出なければならない。 昨夜は新国立劇場で「リチャード三世」を見た後、初台の焼き鳥屋「とり祥」で、日付が変わる頃まで飲んでいた。こういうダラしないサトイモおじさんにとって、連日連夜の講演会はなかなかキツイものがあるが、12月までもう40回。まだまだ長丁場が続く。(埼玉県川越での講演会 1) 川越には西武新宿線の特急「小江戸」で行くことにしている。西武新宿線の駅は、歴史的にどんな経緯があるのか分からないが、小田急や京王やJR、丸ノ内線をはじめとするたくさんの地下鉄、そういう全ての仲間たちに背を向け、大久保方面にポツンと離れて孤立している。 どうだろう、そろそろ仲直りしては。長い間「プン♨だ」「プンプンプン♨だ」「お前たちとなんか、友達になってやんないよ」と、西武クンは無理な強がりを続けてきた。小田急クンやJRクンも、「目には目を、歯には歯を」みたいなカタクナな態度で、「アイツを仲間に入れるのはヤメようぜ」と、いじめっ子連合を続けてきた。(西武新宿駅に停車中の特急・小江戸) でも、でござるね。そんなの、ただ単に不便なだけじゃないか。西武クンが、あと200mか300m譲歩して線路を延ばしてくれさえすれば、西武クンを頼りに生きている沿線住民がどれほど楽に便利に生活できることだろう。みんなで説得して、みんな笑顔のお友達になろうじゃないか。 そのためには、オカネだってみんなで出し合えばいい。元気な若者なら、西武の駅と他の会社線の駅の間を、ズンズン&ズンズン勇ましく行進できるだろうが、人がみんなズンズン歩ける体力と気力を持っていると思ったら大間違いだ。 脚の悪いお年寄りもいる。腰が痛くてわずか300mの道のりを四苦八苦する人だって少なくない。肉体的には健康な人だって、気分が激しく落ち込むことはある。そういう時、新宿のあの雑踏と騒音に耐えて、駅から駅へ重い脚を引きずって歩くのは、精神的にたいへんな負担になる。 つないでおくれ、つないでおくれ。西武新宿駅は、今井君が小学生の頃からあそこに孤立している。山手線となら高田馬場で乗り換えればいいが、小田急から西武、西武から京王、地下鉄から西武の乗り換えの苦痛が、もう数百年♨続いていることになる。 そういう乗り換えがどのぐらいメンドーか、経営陣がみんなでそろって歩いてみて、「このままでいいのか、いけないのか。それが問題だ(小田島雄治訳「ハムレット」より)」と真剣に語り合うべき時が来ている。うんにゃ、つなぐことで、沿線の土地の価値だって大きく上昇するじゃないか。(西武新宿→本川越の特急チケット) 西武新宿の駅で特急の発車を待っていると、怪しい黒雲が西のほうから移動してきて、うぉ、激しい雨が降りだした。こりゃ困った。講演会は15時からだが、雨が降れば出席率が下がる。弱い雨なら1割、強い雨なら3割の欠席を覚悟しなきゃならない。あいにく、降り出した雨は「かなり強い」の部類。うにゃにゃ、スタッフがせっかく努力してくれたのに、マコトに残念である。 12時30分、特急が発車。川越まで40分少々である。沿線風景を眺めていると、うーん、どうも街に華やかさがない。小田急や東急、同じ西武でも池袋線の沿線と比較して、どうも風景が黒ずんでいる。どうなんだろう、これも西武新宿の駅が仲間はずれになり続けていることと無関係ではなさそうだ。(今井君の大学生時代から走っている、古いデザインの西武電車) 諸君、電車のデザインだって昭和っぽい時代物がまだたくさん現役で走り続けているし、駅舎も昭和中期のままのものが多い。ターミナル=西武新宿駅も、その上にある新宿プリンスホテルも、高度成長期のままの煤けた姿が何だか物悲しい。新しくしておくれ、現代的にしておくれ。それより何より、他の会社線とつないでおくれ。そう願いながら、40分はあっという間に過ぎた。 雨は、上石神井を過ぎるあ続きをみる

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