October 9, 2012, 12:00 am
10月6日から7日にかけて、東京は秋の大雨になった。夜8時過ぎから降り出した大粒雨は、そのまま明け方まで降り続いた。NHKの天気図を見ると、全く同じ時間帯に石川県金沢の周辺でも豪雨になっていて、金沢の人たちのコトバを借りると「秋には滅多に経験しない豪雨」だったらしい。 7日日曜日の今井君は、まさにその金沢で講演会。朝8時にタクシーで羽田空港に向かい、空港ラウンジで1時間ほどブログ記事を書いてから、9時45分のANA機で小松に向かった。 飛行機は離陸から着陸まで大きく揺れた。機長のアナウンスによると「小松上空に活発な雨雲がある」とのことだったが、この時期の小松行きの窓からは、もし晴れていれば木曽や飛騨の山々が紅葉で真っ赤に染まっているのが見られるはず。マコトに残念である。 小松に着いてみると、さっき上空から眺めた分厚い雲がウソだったかのような快晴である。いわゆる運動会日和の秋晴れであって、小松では明日8日に大きなマラソン大会が予定されているらしい。 閑散とした小松駅で特急「しらさぎ」を待つ。今日の講演会会場は、金沢からさらに能登半島を奥のほうに北上した羽咋の町である。羽咋と書いて「はくい」と読む。もし羽咋の町がなかったら、羽咋の「咋」という文字もこの世に存在しないかもしれない、マコトに貴重な町である。(石川県羽咋での講演会 1) 小松駅のホームで「急行きたぐに」の表示を発見。おお、なつかしや、昭和の日本海沿岸を走り続けた「急行きたぐに」の痕跡が、こんな所にチャンと残っている。青森-大阪間を、15時間だか18時間だか、気の遠くなるような長時間を費やし、マジメにゆっくり着実に走り続けた。 1968年、メキシコ・オリンピックの年に走りはじめ、2012年3月、定期列車としての運行を終了。何しろ日本海沿岸を延々と走るのだ。冬季には、大雪のせいで大幅な遅延を繰り返す。それでもあきらめない。まさに昭和日本の粘り強さの象徴である。(小松駅で発見、急行「きたぐに」のプレート) 1972年11月、青森行き下り「きたぐに」は、北陸トンネル内で列車火災を起こす。「食堂車が火元」ということは、何とこの列車にも食堂車が連結されていたのであるが、諸君、選りに選って当時日本で一番長かったトンネルの中で火災が発生とは、あまりに運が悪すぎる。30人が犠牲になった。 乗客の中に、今井君の同級生のパパがいた。忘れもしない、「高井君」のパパであるが、秋田の国鉄職員である。深夜のトンネルの真っ暗闇で、数百人の乗客を誘導して避難。真の闇の中、「線路を手で触りながら逃げるんだ!!」と巧みに誘導。この列車火災で死者数が30人で済んだのは、高井君のパパの英雄的行動のおかげである。のちに国鉄総裁賞を受けている。(石川県羽咋での講演会 2) そういうことを思い出しながら、サトイモ閣下は特急「しらさぎ」で一気に北上する。金沢で車内の乗客はほとんどが降りた。さらに七尾線を羽咋まで北上したのは、8号車では今井君一人である。黄色や橙の秋の花々が、通過する電車の風に揺れて、車窓はマコトに物悲しい。 講演会場は「国立のと青少年交流の家」。ま、「人よりコンクリート」の時代に税金をタップリ投入して作った大きなハコモノである。国の方針はその後「コンクリートから人へ」に変わったが、自民党時代に作り放題に作られたコンクリートのハコモノだって、ケッコこうやって地元のヒトビトの幸福に役立っている。(国立のと青少年交流の家) ここに集まっていたのが、金沢市周辺の優秀な中3生諸君。高校入試に向けての勉強合宿中である。10月6・7・8日、連休を利用した2泊3日の合宿で、金沢市内のトップ校合格を目指す。猛勉強の真っただ中に今井君が登場して、一気にモチベーションをアップさせようという企画である。 講演前に、コッソリ教室を覗きにいった。今井君の苦手な理科・第一分野の授業である。担当の西野先生は、若いけれどもすでにベテランの風格が漂っている。気合いの入った授業であって、受講中の生徒たちも真剣そのもの。 なんだ、これじゃわざわざキウィ男爵なんかが登場しなくたって、とっくに湯気を朦々と上げて盛り上がっているじゃないか。(石川県羽咋での講演会 3) 生徒たちはチームAからチームFまで20人弱のチームに分かれ、小教室続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
10月8日、金沢の日航ホテルで目を覚ますと、すでに午前7時を過ぎている。今日はこれから千葉県の津田沼に移動し、17時から公開授業の予定である。小松空港から羽田への飛行機は少ないから、どうしても11時半の便になる。金沢発9時53分の特急サンダーバードに乗らないと間に合わない。 この3~4年、金沢泊の時は必ずANAホテルを利用してきた。忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災の日も金沢ANAホテルに滞在していた。久しぶりに日航ホテルを利用してみると、その居心地のよさにビックリ。これからしばらく、金沢滞在は日航ホテルにしようと思う。 それにしても、これから4~5年の金沢は大きく変化しそうである。何しろ、北陸新幹線の開通は大きい。それに備えて、国鉄・金沢駅前はどんどん姿を変えている。地下街もどんどん整備されて、マコトに素晴らしい。(津田沼での講演会 1) しかし、「もしかしたら今、トンデモナイことをしてるんじゃないか」という思いも湧き上がる。中世から近世を経て近現代まで、金沢は完全に関西文化圏。正確には京都文化圏であって、大阪や神戸に目は向かなくても、ヒトビトは常に京都の方向を向いて生活してきた。 何しろ中世には100年にもわたって一向一揆が支配した地域である。浄土真宗、とりわけ蓮如の影響は強烈だ。今井君がコドモの頃、金沢を舞台にしたNHK連続テレビ小説があった。東京コトバなら「…だから」を、昔の関西コトバで「…やさかい」と言い、金沢コトバでは「…やさけ」と言ったらしい。 確か田中絹代だったか、昭和の大女優が連日「もう疲れたさけ…」「小腹がすいたさけ…」「そういうことはキライやさけ…」を連発した。NHKドラマの地方コトバは異様に地方性が強調されていて気持ち悪いが、コドモの頃の今井君の脳裏に「金沢って、関西文化圏なんだな」と刻み付けるには十分であった。 21世紀の金沢でも、京都の求心力は衰えていない。優秀な高校生たちは、まず京都大学を目指す。他の地方みたいに「誰が何と言おうと東大」「何が何でも東大」「東大、東大、ひたすら東大」という意識は感じない。京都大学、大阪大学その他、関西の大学のほうにコドモたちはより大きな共感を感じるらしい。 小松空港から羽田への飛行機が少ないのも、そういう京都指向を反映しているのかもしれない。京都方面への特急サンダーバードは上下合わせて50本も走っているのに、小松-羽田のANA機は5往復、合計10便だけである。(津田沼での講演会 2) 北陸新幹線の開業で、おそらく金沢は大きく変わるのだ。ヒトビトの目は一気に東京を向き、コトバも意識も進学もみんな東京向きになる。近いうちにサンダーバードは減便され、京都大阪方面への人の流れは縮小し、やがて文化も東京志向になる。 やっぱりボクらの世代は、たいへんなことをしようとしているんじゃないか。文化の多様性が大好きな今井君は心配でならない。 外国を旅して「なんだ、世界って1つじゃないか」と感動するのはいいが、サトイモ大将の場合、その同じコトバが嘆息とともに漏れるのだ。世界が平和なのはもちろんスバラシイが、多様性をなくした世界はキライだ。みんな1つに統一されて、みんな英語、みんなネット、みんなスマホ、そういうのはツマラナイ。 どの国も、どの地域も、どこも驚くほどの多様性に満ちていて、みんな別々、みんな特別、みんな個性的、そういうのがいい。何でもかんでもアメリカ、何でもかんでも中国、何でもかんでも東京、何でもかんでもカワイイ、それだけはヤメてほしいのだ。(津田沼での講演会 3) そういうことを思いながら、津田沼に向かった。電車で小松、タクシーで小松空港、11時半のANAに乗って、12時半に羽田。羽田から京急線で品川、時間があったので品川で床屋さんに立ち寄り、品川から横須賀線。直通の総武線快速で津田沼到着15時。なかなかの大移動である。 品川の床屋さんについては、ぜひ近いうちにこのブログでも紹介したい。もちろん「続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
↧
October 11, 2012, 12:22 am
10月10日のサトイモ閣下は、午後1時に千駄ヶ谷の国立能楽堂に現れた。伯父が亡くなってからまだ3日しか経過していないが、だからと言っていつまでもションボリしているわけにはいかないだろう。 シェイクスピアが大好きだった伯父として、しかも「通夜とか葬式とか、ボクはそういう儀式を嫌悪しているんだ」と言い放った伯父としては、自分の葬儀の翌日に1人の甥が能狂言を観に行くことを、手を打って喜んでくれるに違いない。 まず能楽堂の中の食堂で腹ごしらえをする。「長崎皿うどん」、もちろん細麺である。ホントは天ぷら蕎麦をすすろうと思っていたのだが、見本のガラスケースの横に「長崎皿うどん、ぜひご賞味ください」という貼り紙を見つけて、「よおし、それなら『ご賞味』してやろうじゃないか」と決めた。 皿うどん細麺が旨かったかどうかは別として、肝腎の能と狂言であるが、狂言は「昆布柿」、能は「淡路」。古事記編纂1300年を記念して、「昆布柿」も「淡路」も、イザナギとイザナミによる国造り神話にちなんだ演目である。(東京・千駄ヶ谷 国立能楽堂) 直前の皿うどんとビール1本がいけなかったのか、狂言はともかく、能のほうでは何度か睡魔に負けて意識を失いかけた。そんな意志の弱い今井君を救ってくれたのが、シテのオジーチャンである。国立能楽堂でシテを演ずるぐらいだから、人間国宝級のオジーチャンなのだが、あろうことか前半の見せ場でセリフを失念、絶句してしまった。 それがショックだったか、そこから数回くりかえしてセリフを間違える。現代演劇なら、セリフを忘れたり間違えたりしても、アドリブで何とか危機を脱出することができる。しかし能やオペラは残酷に出来ていて、客席の前のディスプレイに字幕が出る仕掛けになっている。(千駄ヶ谷でニャゴロワそっくりの白ネコを発見) 字幕を読みながら見ている人が多いから、間違えれば観客は「おや、間違えたな」とザワザワ囁きあい、失念すれば観客は「おやおや、忘れたな」と目配せを交わす。国宝級のオジーチャンにとって、何だかさらし者にされているような、悲しい事態である。 どうなんだろう、「字幕がディスプレイに出る」「間違いを許さない」というのは、芸術の発展を阻害するんじゃないだろうか。まるで1000人の観客が演ずる者を試しているような状況。字幕通りでなければ「間違えた」と判断する観客。偶然のアドリブから芸が思わぬ発展を遂げることだって多いはずなのに、定型以外をすべてミスとして退けてしまえば、芸術の豊かな発展は止まってしまう。(国立能楽堂チケット) しかも、「オジーチャンが可哀想」と今井君が涙ぐむのには、もう1つのワケがある。オジーチャンが間違えるたびに、後ろに控えている1人が容赦なく大きな鋭い声で訂正するのである。 「セリフを忘れて絶句したんじゃない。ちょっと間を置いただけなんだ」と多くの観客は思っているのに、ジーチャンが絶句した瞬間、まさに間髪をいれずに、厳しい声で正しいセリフを教示するのだ。 これじゃジーチャン、まったく立つ瀬がない。面目丸つぶれじゃないか。まるでカルチャースクールに謡曲を習いにきたジーチャンが、厳しいセンセに叱られてるみたいじゃないか。 今井君がシロートに毛が生えた程度の観客だからそう思うのかもしれない。厳しい能の世界では、ごく当たり前のことなのかもしれない。しかしやっぱりサトイモ大将は、シテのジーチャンが可哀想でならない。もう少しだけ情け容赦とアドリブの余地続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 12, 2012, 5:51 am
![]() |
10月27日(土)・28日(日)はボルボ認定中古車アプルーブドカーフェア |
↧
October 12, 2012, 5:51 am
10月11日、飛騨高山で講演会があり、朝10時にはもう代々木上原を出て、東京駅発11時の新幹線に乗った。東京はポツポツ雨が降りだしたが、今日もまた東京駅は復元工事完成を祝う観光客で大混雑である。 さすがに飛騨高山は遠い。東京駅からまるまる4時間かかる。名古屋まで新幹線で1時間半、名古屋で特急「スーパービューひだ」に乗り換えてさらに2時間+α。ではそういう出張がキライかというと、さすが人呼んで乗り鉄キウィ♡今井君は朝からウキウキして、飛騨の車窓が楽しみでたまらない。(飛騨高山での講演会 1) 名古屋から岐阜まで30分、乗客はみんな後ろを向いて走る。一見したところ異様な光景であるが、岐阜から高山本線に入ると進行方向が反対向きになるから、まあやむを得ないのである。そりゃそうだ。岐阜を出た所で車内の乗客全員やおら立ち上がって座席の向きを変えるんじゃ、手間もかかるし、明らかにその光景のほうが異様である。 しかし、「出発時にみんな後ろ向き」というのは、工夫して何とかならないか。佐世保を出る長崎本線の博多行き特急、秋田新幹線の東京行き、そして名古屋発の高山本線特急。日本で少なくとも3カ所、「さあ出発、でもみんな後ろ向き」を強いられている。花やかな門出の日にみんな後ろ向きじゃ、門出の花やかさに水を差すじゃないか。(特急スーパービューひだ。名古屋-岐阜間は後ろ向きに走る) 高山本線には、「げろ」「こび」「やけいし」など楽しい駅名が多い。深い山の中なのに何故か「なぎさ」という駅もある。漢字も「渚」である。本州で一番深く山の中に分け入った土地に、なぜ「渚」の文字が入り込んだのか、こりゃまあ諸君、ググってみるしかないでござるね。 「げろ」については、もちろん「げろ」は「下呂」であって「ゲロ」ではない。下呂駅で温泉目当てのお客がぞろぞろ降りて、グリーン車内はすっかりカラッポになってしまった。 「下呂」からしばらく走った所に「上呂」という駅を発見。おお、下呂と上呂があったら「中呂」もあるだろう。地図を見ると、確かに中呂という地名もある。京都大原三千院の近くに呂川という川があるが、もしかしたら飛騨地方にも同じ名前の川があって、その上流の町から順番に上呂→中呂→下呂になったのかもしれない。 いんにゃ、宿場町を「留」と呼んだ記録もある。確かに旅人の側からすれば「止まる」「泊まる」であるが、宿の立場なら「泊める」「留める」である。3つの宿場が連続していれば、標高の高いほうから上留→中留→下留。それが転訛して上呂→中呂→下呂ということだってあり得る。(高山駅) それとももっとカンタンに上流→中流→下流? いやいや、さすがにそんなに単純に大河ドラマみたいな名づけ方はしないだろう。そもそも、下呂温泉は深い山の中にあって、川の中にも大っきな岩がゴロゴロ転がっている。これではとても悠然と流れる穏やかな下流のイメージはない。 そんなことを考えていたら、今井君の頭はますます横道にそれて、「平清盛って、視聴率どうなったのかねえ」「まさか、またヒト桁ってことはないだろうねえ」と、余計なお世話のほうに傾いていった。ま、あと2ヶ月だ。担当者はさぞかしツラかっただろうが、破滅的なことにならなくて、ホントによかったじゃないか。(高山駅で発見 よいこは、ここで、あそばない) 高山着15時チョイ。すぐにタクシーに乗り込んで、宿泊先の「ホテルアソシア高山リゾート」に向かう。町は閑散として、「昨日まで高山祭だった」という華やぎは全く感じられない。おお、祭が終わったら、みんなとっとと帰っちゃったんだ。薄情であるね。祭が終わったら、ついでに今井宏大講演会にも出てから帰ったらいいじゃないか♡(飛騨高山での講演会 2) 高山祭といえば、サトイモ大将としてはどうしても「高山にカンカコカン」を紹介しておきたい。NHK「みんなのうた」で1969年秋の放送。今井キウィ男爵の記憶力は強烈であるから、今でも全曲通して歌うこと続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
↧
October 13, 2012, 12:06 am
さて、今日から「ンラゼマ地球一周記」を書き始めようと思う。また旅行記が始まって、予備校講師の身辺雑記にしか興味のないヒトビトにはマコトに申し訳ないが、何しろ今井君の興味はそこに凝縮されているのだから、許していただくしかない。 2012年8月28日から9月13日までの17日間かけて、サトイモ大将は地球を東へ東へと回って日本に戻ってきた。マゼランはスペインから西へ西へと地球を回って、「なるほどやっぱり地球は丸いや」と自分で確かめてみた。ならば今井君は東へ東へと回ってみようじゃないか。(NYタイムズスクウェア NAKED COWBOY) 西へ西へと進めば元に戻れることはマゼランが16世紀に実地で証明。しかしもしかしたら、東へ東へと進んでもモトに戻れないかもしれない。そういうシュールな立体を想像できるかね? ドストエフスキーの主人公の1人によれば、「ユークリッド幾何学に支配された我々の頭では、神のことは理解できない」(カラマゾフの兄弟、次男イワンのセリフ)のであるが、「西に回ったら元に戻る、東に向かったら異次元に行きつく」、そういう世界を想像することは、理系の諸君、可能だろうか。(NYタイムズスクウェア M&M'sのセクスィー自由の女神) 「旅」とは、帰ることを前提にした行動。「冒険」もまた、帰り着くことを強烈に希求する行動。帰り着くことを放棄した空間移動を「放浪」と呼ぶ。ならば「東に向かって異次元をさまよう可能性」を知りながら出発するクマ蔵は、いま放浪を求めているのであろうか。 諸君、ボクチンはたいへん軟弱な人間なので、放浪はイヤでござる。苦しいことや痛いことやツライことは、一切を拒絶するのでござる。高邁な理想を掲げて世界の果てを放浪する、そのたぐいの激しい修行は、もっと精神力の強いエラいオカタにお任せする。 だから、これは放浪ではない。ま、旅であり冒険である。いつものヨーロッパ旅行が「往」と「復」の2本立てで構成される線対称なイメージの旅なのに対して、今回の地球一周は「復」の要素の欠如した、ひたすら「往」→「往」→「往」の連続である。(M&M'sの新キャラクター。キャリアウーマンのMs.Brown) どこかでUターンするのではない。ひたすら「往」で、押して押して押しまくって、その結果として、出発点から強烈に希求しつづけた「故郷への帰還」を果たすことになる。ある意味で、人生の理想形なのかもしれない。 途中で臆病風を吹かせて「もうこの辺で故郷に帰ろう」ということもない。明治大のラグビーみたいに、前へ、ひたすら前へ。中国の国歌みたいに「前進、前進、前進、進!!」。進みまくって目的を果たせるなら、ホントにホントに、人生の理想の模型みたいな冒険である。 マゼランの反対向きだから、出発前に自ら「ンラゼマ地球一周記」と名づけた。そして今その一周記を書きはじめたことからも明らかなように、サトイモ大将は「ひたすら前へ」の強行突破の果て、みごと東京への帰還を果たしたのである。今日から執筆するのは、その「折り返し点のない旅」の記録である。(ブルックリンブリッジ。ブルックリン側のハイストリートから) 8月28日午前8時、キウィ閣下は成田空港にヌッと姿を現した。ここから17日間、英語圏→スペイン語圏→ドイツ語圏と歩き回るわけだから、さすがにいつもの旅よりも緊張感が大きい。 オカネの両替だって面倒だ。ドルやユーロなら何ということもないが、アルゼンチンのペソは日本では買うことができない。 しかし現地へ行ってからでは、日本円からの両替は面倒くさそうだ。「短時間誘拐」「空港周辺での強盗の頻発」など、物騒な治安情報が目いっぱい&種々雑多に飛び交う中、ブエノスアイレスの両替所でウロウロ&オロオロしたくないから、とにかくここで何とかしていきたい。(ブルックリンブリッジからの遠い女神) ドルからペソなら現地で両替できるが、その場合もドルの新札が望ましい。結婚式のお祝いじゃあるまいし、いちいち新札というのも変な話だが、まあ銀行のヒトにそう言われれば従うしかない。 「アルゼンチンではクレジットカードは使わないほうがいい」「お店のヒトに一瞬でもクレジットカードを預けるのはモッテノホカ」という情報もあり、ブエノスアイレスの8日間のために、100ドルの続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 14, 2012, 4:44 am
昨日の砧スタジオにおけるフジTVバラエティ収録の余韻が、なかなか収まらない。さすがに今井君はテレビの世界ではシロートであって、有名芸能人に囲まれて盛り上がった1時間半が、前代未聞に楽しかったのである。 収録の帰り、タクシーを途中下車して、世田谷区代沢の蕎麦屋に寄った。9年前までこの辺りの借家に住んでいたから、土地勘は抜群。代沢の借家では6年も生活したから、ま、第2の地元である。入った蕎麦屋は「富田屋」。ニャゴとナデシコのかかりつけの獣医さんも目と鼻の先である。 (10月13日、福岡で講演会 1) このあたりに住んでいるヒトに聞けば「何でわざわざ富田屋?」と驚いた顔で問い返されるような、ごく平凡なお蕎麦屋さんである。しかし蕎麦屋というものは、平凡であればあるほど本来の姿であり、非凡であればあるほど邪道だと今井君は考える。 そんな人間だから、サトイモ大将が有名店とか「絶品の蕎麦屋」に入ることはほとんどない。ちょっと疲れたとき、ちょっと興奮しすぎたとき、心を休めるには穏やかなありふれた蕎麦屋がいい。富田屋は、まさにそういう店である。 (富田屋、「天丼セット」の天丼) 注文したのは、「平日夜限定 天丼セット」。盛りだくさんの天丼と、かけ蕎麦orもり蕎麦、それに冷奴がついて1000円である。もちろん、ビール中瓶を1本。それだけじゃ足りないから、冷酒も1本。「金婚」というマコトにおめでたい日本酒をちびちびやって、フジTVの興奮を冷ました。おお、楽しかった。チャンスがあったら、是非またお願いしたい。 富田屋は、辛味大根の辛い大根オロシに山菜をからめたお通しも旨かった。あんまり旨いので、「お通しをもう1個いただけますか?」「あんまり美味しいもので」と正直に打ち明けたら、店員のお姉さんが「サービスです」と言って、普通のお通しの3倍もあるような大きなハチで持ってきてくれた。いやはや、いい店員さんだ。素直にお願いしてみるものである。 (仕事で使っているダークグリーンの鞄) 10月13日、福岡で講演会があって、羽田発13時チョイの飛行機に乗った。どこへ出張するときでも、1泊か2泊なら荷物は普通のビジネスバッグ1つである。見た目以上にたくさん入る鞄で、そのぶん見た目よりもずっと重い。「予想の5倍重い鞄」と呼んでいる。ANA客室乗務員の方に「ダークグリーンがステキですね」と褒められて、持ち主として大いに鼻が高い。 福岡は結婚式ラッシュである。たいへんおめでたい。宿泊先のホテル日航ロビーには、ちょっと酔っぱらったオニーサン&オネーサンの群れが大量にタムロしている。ま、ええじゃないか♡ええじゃないか。日本の少子化に、ぜひ歯止めをかけてくれたまえ。 (10月13日、福岡で講演会 2) 講演会は、香椎を中心とする「福岡東地区」。福岡を中心に、九州で圧倒的なシェアと人気と実績を誇る名門塾・英進館が主催。名門・福岡高校を中心に高1高2生対象とのことだった。会場は福岡工業大学。大学の大教室だから、キウィ閣下にとっては最高の講義環境である。 ただ、心配なことがある。「予定したほど、生徒が集まりそうにありません」という情報があって、それでみんなイライラしている。予定の8掛け、下手をすれば7掛け、170人を予定しているが、140名ぐらいになるかもしれない。そういう具体的な数字が控え室を駆け巡る。(今井先生はケーキ大好きという噂がどこから広まったのか分からない。しかしどこの校舎に行ってもケーキ三昧。福岡では、とうとうケーキが4つになった) 控え室は、講演会会場のお隣の教室。講演会場と全く同じ大きさの教室で、収容人員270名。うにゃにゃ、実に立派な教室であって、すべ続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 14, 2012, 8:25 pm
10月14日朝のウワバミ君は、まだ福岡でトグロを巻いている。おお、懐かしい。久しぶりに「ウワバミ君」の自称を使ってみた。もともと今井君が文章の中で使う1人称は「私」。ブログ初期の文章を見ると、ひたすら「私は」「私は」の連発であって、何とも若々しい硬さが横溢している。 この2~3年、「私」はすっかり影をひそめた。だからといって「オレ」を連発するほどワイルドじゃ、スギちゃんでもパクっているようで恥ずかしいし、「ぼく」または「僕」は、昔の文学青年みたいでやっぱり恥ずかしい。 1週間前に亡くなった伯父・加藤一夫の1人称は「ぼく」だったが、庄司薫でも村上春樹でも、「ぼく」「ぼく」「ぼく」を機関銃にように繰り出されると、思わずカラダを低くして、「ぼく」の激しく際限のない自己主張が、少々面倒くさく感じられる。 伯父・加藤一夫は、まだ秋田大学助教授の頃、NHK秋田のローカル番組に出演し、秋田の農村の現状について語ったことがある。そのとき彼が持ち出したのがスタインベック「怒りの葡萄」の話。さすが、経済学者ではあってもモトはと言えば文学青年。若干マルクスにもかぶれていた。訥々と語る語り口にも、当時の農政に対する静かな怒りが溢れていた。 1人称に何を選ぶかによって、思想や思考のあり方さえ大きな影響を受ける。「私」「ぼく」「オレ」の類いは、ついつい自己の主張を「絶対にあとには引かない」という強烈or激烈なものにしがちである。そこでボクチンは自省をこめて、自分で自分から身をかわす自己ドッジボール的努力をつづけることになる。(池袋校で出してくれたケーキ。マコトに残念なことに、池袋講演会の写真を撮っていただくのを忘れてしまった。池袋の写真はこれだけである。スミマセン) 最初は「カニ蔵」だったのだ。しかしその2~3か月後にSMAPのバラエティ番組で同じ「カニ蔵」が登場し、やむなく「クマ蔵」に変身した。その後、「ウワバミ君」だの「キウィ閣下」だの「サトイモ大将」だの、自由自在に1人称が踊りだした。たった100行程度の文章の中に種々雑多な1人称が縦横無尽に踊りくるい、初めてブログを読むヒトは、「何が何だか分からない」という混乱をきたす。 ま、許してくれたまえ。「ウワバミ君」は、宴会や祝勝会で飲み過ぎて、ホンのちょっと2日酔い気味の朝の1人称である。10月14日日曜日、昨日の福岡祝勝会があんまり楽しかったので、朝7時にホテル日航で目を覚ましたときの今井君は、すっかりウワバミ君気分であった。 10時の飛行機で羽田へ。羽田まで1時間半、羽田からモノレールで浜松町まで20分。浜松町から山手線をグルっと回り、池袋まで30分。合計4時間に及ぶ長い移動のうちに、ウワバミ君はすっかり元のクマ蔵に戻って、口からガオガオ火を噴いて気力もタップリ、15時からの池袋講演会への心の準備ができた。(NY セントラルパーク風景 1) 池袋での講演会は、保護者対象。池袋校以外に、高田馬場・巣鴨・本郷3丁目・茗荷谷・志木・川越校など、池袋近隣の校舎からも熱心な保護者の皆さんが駆けつけ、15時10分開始。終了16時50分。約100名の出席者があって、会場のビジネススクール池袋校は超満員になった。 保護者対象の講演会などというものは、普通ならもっとマジメに、きわめて静粛に、ちょっとトゲトゲしく進行するものである。しかし諸君、誰が何と言おうと、今井君は何よりも笑いを重視する。ヒトは、笑えば笑うほど進化し、進化するたびに爆笑するものである。ならば、たとえ保護者対象でも、講演会は笑いに溢れているのが理想的だ。 聞く側のヒトビトが最初どんなに難しい顔で座っていても、いったん今井君が語りはじめれば、最初の爆笑まで30秒もかからない。あとは爆笑頻度が加速度的に上がっていくだけである。 ハタから見れば「これがホントに保護者会?」という奇異の念に襲われるかもしれないが、これこそまさにベストの保護者会。爆笑につぐ爆笑の末、終了後はほぼ全員の保護者が心から満足しきって帰っていく。(NY続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 16, 2012, 1:30 am
10月15日のサトイモ大将は、午前から午後にかけてまず「今日が締切」の原稿を書き上げた。昔からの悪い&悪いホントに悪いクセは今でも健在で、締切のある原稿は締切ギリギリにならないと絶対に腰を上げない。 しかし、いったん腰を上げてしまえば滅法速いのもキウィ男爵の特長。速いのなんのって、「締切だ♨締切だ」と悩みに悩んだあげく、実際に執筆時間はたった40分しかかからない。 ホッと一息ついて、夕方からサントリーホールに出かけた。2時間半ほど、チャイコフスキーを聴いてこようというわけである。天ぷら蕎麦で腹ごしらえをし、さらにANAインターコンチネンタルホテル36階のバーで、シャンペンを3杯飲んだ。 このホテルはサントリーホールのお隣だから、開演15分前までバーに座っていても大丈夫である。しかも諸君、ふつう「高級ホテル最上階のバー」ということになれば、シャンペン3杯の値段はきっと恐ろしく高いものになるはずだが、何と「平日20時まではハッピーアワー、ドリンク1杯=500円でご提供」。シャンペン3杯=1500円だ。 コンサート会場内でシャンペンを注文すれば、生温いシャンペンを立ちん坊で飲んでも1300円はとられる。それを、国会議事堂や丸の内方面の夜景をホテル36階から眺めながら、ゆっくり座って3杯1500円。こりゃ、お得感も抜群だ。 (巨匠フェドセーエフ。公演チラシより) 18時40分、バーのお姉さまに「行ってらっしゃい」と優しくコンサートホールに送り出される。こういうのもまた悪くない。向こうも「あのヒトはこれからクラシック」と分かっているわけだ。「終わったら、また来ます」ぐらいのお愛想は、クマ蔵にだって言える。 ただし心配なのは、「コンサート前にシャンペンなんか飲んで、眠くなっちゃわないの?」でござるね。しかし、心配はご無用。何しろ今日のコンサートはロシアの巨匠フェドセーエフ。演奏は彼が40年近く率いてきたチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ。元のモスクワ放送交響楽団でござる。眠くなりようがないのだ。 演奏は、前半が「エフゲニー・オネーギン」「弦楽のためのセレナーデ」。20分休憩が入って、後半が交響曲第6番「悲愴」。前半は悲しく美しく、後半は深く重く激しく、スケールの大きな演奏は、さすが巨匠、さすが名門オーケストラである。 (サントリーホールのチケット。B席で9000円もする) マコトに残念なことに、サントリーホールは6割程度しか埋まっていない。1階席も2階席も、後ろのほうはガラガラ。これは主催者の責任だ。心身が弱っている時なら、ステージに上がる者にとって、この状況は心にもカラダにもたいへんキツいものである。 しかし、さすが巨匠。80歳にして気力も体力も充実しきっている。少し脚が悪いのかもしれない。指揮台に上がる時にちょっとつらそうな様子を見せる。しかしいったん演奏が始まればまさに大迫力であって、指揮ぶりに衰えなんか全く感じさせない。ホンの少しコミカルなポーズも忘れない。サービス精神に溢れるマコトに素敵なオジーチャンである。 この日の今井君は2階席後方、B席に座っていた。だって、B席でも9000円だ。S席なんかに座ったら15000円もとられちゃう。しかし諸君、「サントリーホールはむしろ2階席のほうが音響はいいんじゃないか」、負け惜しみでなくそう実感させてくれるスンバラシイ演奏でござった。 (素晴らしかった夜の〆は、高級焼き鳥屋で) 2度にわたるアンコールも秀逸。特に2曲目「白鳥の湖から『スペイン人の踊り』」は、この日のコンサートを締めくくるに最高の楽しい一曲。ほとんどの聴衆が席に残って、心からの大喝采をおくった。 諸君、これはどうしても諸君に追体験してもらいたい。YouTubeで「白鳥の湖~スペイン人の踊り(スネアのおっさん)」を検索してくれたまえ。昨夜の今井君が目撃したのと、同じ指揮者、同じオーケストラ、同じ「スネアのおっさん」が目の前に現れる。 「スネアのおっさん」とは何者であるかについても、ぜひ諸君が自ら目撃することをお勧めする。誰でも一目見て「ははん、あれね」と理解できるだろうし、フェドセーエフの演奏にはどうしても無くてはならない存在であることも分かるはずだ。 これこそ彼と彼らと彼女らの十八番なのである。十八番と書いてオハコと読む。しかし「オハコとはこういうもの」「これこそ十八番
続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
↧
October 16, 2012, 11:46 pm
![]() |
スカンジナビアン・デザインにボルボならではの先進を満載したスポーツワゴン。 |
↧
October 16, 2012, 11:46 pm
俳優・山田吾一、79歳で死去。作家・丸谷才一、87歳で死去。カンボジア・シアヌーク殿下89歳で死去。ちょっと前のことになるが、大滝秀治、87歳で死去。先週亡くなった伯父・加藤一夫が享年87だから、いずれ劣らぬ大往生だったのだと思う。冥福を祈る。(丸谷才一「笹まくら」。講談社文庫 昭和48年) 山田吾一の死去が伝えられたとき、誰もが昭和30年代の名作ドラマ「事件記者」について語った。10年にわたって視聴率40%をキープした推理ドラマが緊迫のナマ放送だったことを考えれば、やっぱり「事件記者」は伝説の番組として、放送業界の記憶に永遠に残ることだろう。 その「事件記者」の中で主人公たちのうちの1人「岩見」を演じたのが山田吾一。死去のニュースでは「ガンちゃん」「ガンさん」ということになっていたが、今井君の記憶の中では、彼はあくまで「岩見」である。 もっとも、さすがに「事件記者」放送当時の今井君は、幼児というより乳児、あるいは胎児だったのであって、ドラマの中身も岩見の演技も、三島由紀夫「仮面の告白」冒頭に示された記憶程度にしか残っていない。(NYセントラルパークのリス君 1) むしろ今井君にとって山田吾一の記憶は、NHK連続テレビドラマ「旅路」の記憶である。1967年放送。前年の樫山文枝主演「おはなはん」のほうが有名だが、「旅路」の視聴率は「おはなはん」を上回っていた。ググってみると、連ドラ歴代視聴率で「おしん」に次ぐ第2位に輝いている。 出演は山田吾一の他に、日色ともゑ、宇野重吉、横内正、久我美子、加藤大介、名古屋章、長山藍子。うにゃにゃ、昭和の名優総出演の感がある。描かれたのは、大正から昭和にかけての北海道の国鉄職員一家である。 今井君んちは父・三千雄が国鉄職員である。ガンコな三千雄君は、家族がテレビをダラダラ見るのがキライ。居間でテレビがついているのを見ると、苦虫を噛みつぶしたような顔で「消せ」と簡潔に命令したものだ。しかし国鉄職員を描いた「旅路」だけは別格扱い。むしろ「ヒマがあったら必ず見るように」という雰囲気だった。 どうやら当時の国鉄全体で、この番組を推奨していたらしい。だから今井君なんか、今でもあの連続ドラマのテーマ曲を記憶している。白黒放送で、走る列車から見た鉄路を背景に「旅路」の文字が白く浮かびあがるシーンは、今でも脳裏に再現できる。(NYセントラルパークのリス君 1) 山田吾一の記憶はもう1つ、1973年の大河ドラマ「国盗り物語」の蜂須賀小六役である。蜂須賀小六は、このドラマの中では野武士の群れの1人として描かれ、あくまで脇役の1人に過ぎない。しかしどういうわけか幼い今井君の記憶に強烈に残った。 「野武士みたいな生き方も悪くないな」。ま、いかにも男のコドモらしい憧れである。所領なし、安定収入なし。部下なし、権威なし。頼れるのは自分の腕一本。いま考えてみると、その後の人生が何となくそっちの方角に向かっていったような気がしてならない。今でも徳島を訪れるたびに、山田吾一の蜂須賀小六を懐かしく思い出すのである。(NYセントラルパークのクマさん群像) さて、8月29日、ニューヨーク2日目の今井君を追いかけてみよう。いやはや、酷暑というか炎暑というか。直射日光でいったん熱くなってしまった鉄とコンクリートの街は、午後になって日差しがいくらか弱まっても、なかなか冷めてはくれない。 お腹の中はさっきのラムチョップでいっぱい、セントラルパーク→リンカーンセンター→HOTEL EMPIREとウロウロしているうちに、キウィ軍曹はふと睡魔に襲われた。うにゃにゃ、どうしようもなく眠い。きのう日付変更線を跨いだばかりだ。おそらく時差ボケが出たのだが、この熱さじゃ、熱中症の可能性だってある。 ミュージカル「エヴィータ」の開演まで6時間近くあったから、キウィ軍曹が選択した行動は「ホテルに戻って、ひと寝入り」である。さすがに旅慣れた今井君。こういう時に無理することは絶対にしない。 しかも、宿泊先の「プラザアテネ」はMadison Ave/64St。隠れ家的なプチホテルだが、交通至便であって、セントラルパーク南からなら、すぐ近くだ。5th AveでもパークAveでも、マディスンAveでもレキシントンAveでも、高級タウンハウス街をチョコッと北上すれば、懐かしいベッドと、クーラーがカチンカチンに利いたお部屋続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 18, 2012, 1:10 am
人生の基本は、毎日毎日がほぼ相似形であることであって、日々の生活が互いに区別がつかないほど似通っているタイプのヒトでなければ、少なくとも現代社会はきわめて生きにくい。 ほぼ同じ時刻に目覚め、ほぼ同じ道を通って駅にたどり着き、乗る電車も、乗る車両も、乗った車両の乗客の顔ぶれも、みんなほぼ同じである。高校生から大学生へ、大学生から社会人へ、ヒトの生活の形が大きな断層を飛び越えるのはその2回ぐらいである。 いったん社会人になったら最後、思い切って転職でもしない限り、第一線を退くまでの約40年間、生活は連日ほぼ相似形のままである。現代社会で生きるとはそういうことであって、生活の大枠が連日大きく変化するようでは、天才的芸術家である場合を除いて「社会に適応していない」「適応できていない」という激しい批判の対象になることを覚悟しなければならない。(御茶ノ水で授業 1) そういう相似形の生活が30年も40年も連続することを。多くの人間が嫌悪するかと言えば、嫌悪どころかむしろ心の底から希求するのであって、世の中に受験勉強があるのも、シューカツに大学生が夢中で励むのも、多くの場合「相似形の生活を数十年にわたって継続したい」という欲求のせいである。 「安定した生活」というコトバが意味するのも、より正確には「相似形の生活をできる限り長期間継続すること」である。職場で顔を合わせるヒトもほぼ同じ。帰りの時刻もほぼ同じ。食事の時刻も、食事の場所も質も値段も、緩やかに変化することはあっても、一生にわたって極端な断層を経験することはない。 そこに「不安定な要素」を求めると、今井君みたいにヤタラ旅に出かけたり、今井君みたいにヤタラ職場をかえたりして、「落ち着きの無いヤツだ」と呆れられ、批判なり冷笑なり非難なりの対象になる。不安定を愛し、変化を好み、相似形の継続を拒絶するのは、現代社会ではマコトに困難なのである。(御茶ノ水で授業 2) こういうことを述べると「オマエ、何言ってんの?(Mac君の変換は「何一点の?」であるが)」という、カンタンに言えば「理解の拒絶」というカタクナで頑迷な表情のカベが立ちはだかる。 するとサトイモ大将は大慌てで「いや、ボクチンは、夏休みが永遠に続くことを望んできただけなんです」と頭を掻いてみせるしかない。「だって、せめて夏休みぐらい、日々が相似形であることから解放されたいじゃないですか」。ま、そんな話である。 ところが諸君、夏休みでさえ、日々を相似形にする訓練に費やされるのだから、現代社会というものは実に堅固にできている。「計画表を作成せよ」「規則正しい生活が重要だ」。夏休みが近づくと、先生がたはそう連呼する。 相似形の生活の連続を愛することにおいて、教師の右に出る存在はない。愛するが故に、目の前の生徒たちにも「計画表」という形で、日々の相似性を確保させようとするのだ。(語るサトイモ大将 at 御茶ノ水) ところが、肉食系の生物にとって、日々の相似性は耐えがたい。肉食とは、高いレベルまで偶然に依存した生活であって、一定の時刻に一定の獲物に接近しやすいという規則性はあっても、草食動物が日々草を噛むほどには相似性に依存できないのである。 というわけで、現代社会の枠にハマりにくいクマ蔵どんの日々は、現代社会では滅多に見られないほど不規則性に満ちている。まあ外見的には「ヤタラ旅をするから」「ヤタラ講演に出かけけているから」が、2大原因である。 いつ、どこで、どんなふうに目覚めるか、自分でもサッパリ予測がつかない。ある時はイスタンブールで朝4時に、モスクの祈りの声で目を覚ます。ある時はニューヨークで午後5時に目覚め、大慌てで劇場に走る。またある時はブエノスアイレスの午前2時、パーティールームの騒音に舌打ちしながら、ビールの栓を抜く。 10月11月12月は、神戸、金沢、富山、熊本、福岡、また熊本、大阪大阪また大阪、京都、札幌、また神戸、松山、また金沢。クマのくせに相似形の生活に憧れを居抱きそうなほど、日々の生活は相似の形跡さえ留めない。(再びサントリーホールでフェドセーエフを聴いた。今回は当日券である) もちろん、こんなことを書いて「忙しい」「忙しい」「おお、忙しい」と、自らの多忙を誇示するのではない。少なくともキウィ軍曹の書くことはもう3~4段は複雑であって、これを読んで「へぇ、忙しくてたいへんでござるな」の類いの反応をされては困るのである。 では、今日のサトイモ閣下はいったい何を言おうとしているのか。1センテンスで書くから、よく理解したまえ。「ボクは、相似形の生活の連続を拒絶してここまで来たのに、ふと気づくと相似どころか『合同』な生活をすることだってあるのだ」。以上である。 諸君、これから昨日10月17日の行動を書くから、それが10月15続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 19, 2012, 2:31 am
今回のニューヨーク滞在は、あくまで東回り地球一周のベースキャンプ扱いであるから、滞在は3日に過ぎない。するとマコトに驚くべきことであるが、8月30日朝にベッドを出た段階で、「今日がニューヨーク最終日、もう明日昼にはチェックアウトしなきゃなんない」いう絶望的な事態に気づくことになる。 この朝の今井君の心中をごく正直に吐露すれば、「このままニューヨークにいたい」「ブエノスアイレスなんか行きたくない」である。しかももっと具体的に「ブエノスアイレス行きの飛行機は、今からだってキャンセルできる」「ブエノスアイレスのホテルも、若干のキャンセル料に目をつぶれば、十分にキャンセル可能だ」「このままもう8日間、ニューヨーク滞在を続けて、ニューヨークから直接フランクフルトに向かってもいい。それでも『まあ地球一周』にはなる」「確かに南半球を回らないんじゃ、ちとゴマカシな地球一周にはなるけど、立派にグルっと回ることにはなるじゃないか」など、次から次へと巧みな言い訳が、黒い泉のようにドクドクと湧き上がってきて、もしも誰かが今井君の背中を押してくれさえすれば、直ちにPCに向かってブエノスアイレス回避の行動に出ていたはずである。(ニューヨーク地下鉄 CANAL STREET駅) 何しろ諸君、今のニューヨークは居ごこち最高だ。道ゆくヒトビトは日本人も顔負けの落ち着いた態度を維持し、「さすが先進国!!」と手を打って感激を語りたくなるほどである。大きな声も出さないし、行動も抑制されているし、店の人々の愛想も抜群だ。 昔は日本人独特だったこういう態度が、今やニューヨーカーのスタンダードになりつつあるのかもしれない。ハッキリものを言わなくて、何となく優柔不断。何を求めているのか、何をしたいのか、グズグズと意味不明。昔の日本人は欧米人にそう批判されていたが、やっと今ニューヨーカーの民度が日本人に追いついてきたということかもしれない。(ニューヨーク地下鉄 WALL STREET駅) スーパーやコンビニだって、いまや東京の店員さんたちの優しい接客ぶりと変わらない。1度だけでサトイモ閣下の顔を記憶してくれて、2度目の訪問でレジに並んだら、「一昨日も来てらっしゃいましたね」と声をかけてくれる。おお、やるじゃないか。 33th StとマディスンAveの交わるあたりには、セブンイレブンを発見。エンパイアステートビルの足許、巨大デパート・メイシーズからも至近である。まだお客の入りは多くないようだが、コーヒーやスープの品揃えも豊富。日本なら唐揚げやおでんがズラリと並ぶあたりに、いろんなフレーバーのコーヒーや紅茶が並んでいる。いいですねぇ。(NYのセブンイレブン。33th St/Madison Aveで発見) 一方、これから向かおうとするアルゼンチンの評判は、甚だ芳しくない。ガイドブックからネットまで、種々雑多な情報を検索してみて総合的に判断すると、「行かないほうが無難です」「行った場合の危険は、すべて自己責任で引き受ける以外ありません」「常識のあるオトナなら、個人でそんな都市をウロついたりしないでしょうね」という方向をみんなが指さしているように思われる。 だって、「午後4時過ぎたら外出するな」「警察官も近づくのをイヤがる地域が市内全域に点在する」「イザとなっても誰も助けてくれない。遠巻きに見物しているだけだ」という情報はあまりにコワいじゃないか。実際に犯罪被害にあったヒトビトの体験談が、また非常にヘアライジングな恐怖を引き起こす。 在ブエノスアイレス日本大使館のHPも、方向性は同じ。「お願いだ、来てくれるな」「ノコノコ来て、強盗の餌食になって、我々に迷惑をかけるようなことをしてくれるな」。そういうスタンスである。(快晴のエンパイアステートビル) 恐怖に震えるサトイモ軍曹の脳裏を、「君子、危うきに近寄らず」の一言がキラキラとキラめきながら通り過ぎる。新幹線のニュース電光掲示板みたいである。「あなたは、決して君子じゃありませんが、もし君子に近づきたいのなら、危険やブエノスアイレスには近づかないことですね」。ニューヨーク中の木の葉たちが囁きかけてくる。(NY まだ一見コワそうな地下鉄) そういう囁きを打ち払いながら、サトイモ軍曹は「とにかく肉をワシワシやって、お腹の中が肉でいっぱいになってから考えよう」と決めた。選んだ店は、エンパイアステートビルから徒歩5分の「ウォルフギャングズ」。ステーキの老舗「ピーター・ルーガー」で長年ウェイター長だったウォルフギャングが独立した店である。 2007年12月、前回のニューヨーク滞在でもこの店を続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
↧
October 20, 2012, 6:31 am
![]() |
真のヨーロッパチャンピオンの栄冠はどのクラブチームに輝くのか!毎週試合を放送! |
↧
October 20, 2012, 6:31 am
8月30日、ニューヨーク滞在3日目の午後、お腹の中はデカいステーキと我が友♡コールド・ビアでタップタプ。「さてこれからどうしますかね?」であるが、今井君としては、ニューヨークでどうしてもまた1度お船に乗っておきたい。 マンハッタンは河と海に囲まれた島であって、お船はたいへん重要な交通機関である。「ニューヨークに来てお船に乗らなかった」というのは、「香川県に行ってウドンをすすらなかった」「広島でお好み焼きを食べなかった」「秋田でキリタンポ鍋をつつかなかった」と同等の手抜き。そんなのは人生最大の手抜きであると、サトイモ軍曹は信じている。(マリアンヌ「私についていらっしゃい!!」 1) ニューヨークでお船に乗るとすれば、まず1番に思い浮かぶのがスタテン島へのフェリーである。マンハッタンの最南端バッテリーパークから、大きな黄色いお船が30分に1本の頻度で出ている。往復するだけで満足なら、このフェリーが一番カンタンだ。 ただし、スタテン島に到着した時の「何もすることがない」という唖然&呆然を覚悟しなければならない。諸君、スタテン島では、ホントに何一つすることがない。あえて言っても、「帰りの船を待つ」という必然的な行動の選択肢だけである。 売店でスカスカに乾いたサンドイッチを買い、「おーい お茶」のペットボトルが平然と並んでいることに感激しつつ、ただひたすら帰りの船を待つ。5年前の冬、クマ蔵はあまりの寒さに震えながら、「どうせ何もしないのなら、日本で冬眠していたほうがよかったな」と、苦い後悔に苛まれた。(マリアンヌを慕うヒトビト 1) 今回、たった3日しか滞在にないのに、またあのスタテン島の船着き場で唖然&呆然とするのも考えものである。そこで、キウィ将軍は第2の選択肢「自由の女神を拝みに行く」を選択した。女神様の足許なら、カフェもある。カフェがあれば、我が友コールド・ビアにもありつけるだろう。 アメリカは、キリスト教徒が圧倒的に多いんだから、ホントならマリア様とかジーザスどんのありがたいお姿があって当然なのに、自由の女神どんは、フランス共和国を擬人化した象徴・マリアンヌちゃんである。ドラクロア「民衆を導く自由の女神」をモデルにしているらしい。 民衆を導く女神さまなのだから、彼女を拝むときは必ず後ろから拝むべきである。世界史の教科書を引っ張りだして、ドラクロアの絵を確認してみたまえ。彼女の正面に立つということは、彼女および民衆の敵の位置に立つことになる。(マリアンヌ「私についていらっしゃい!!」 2) 民衆を導いて敵と戦う彼女の、緊張感あふれる怒りの表情を確認したまえ。コワくてコワくて、サトイモ大将はとても正面から彼女に戦いを挑むことはできない。かよわく愚直な民衆の一人として、「導いてくんろ」「助けてくんろ」「弱いアッシたちを、自由の国に連れていってくんろ」とツブヤキつつ、あくまで女神様の後ろから歩んでいくべきである。 すると、ツブヤキは別のツブヤキを生み、ツブヤキの蓄積は大きく膨らんでドヨメキに姿を変え、ドヨメキは雪崩を打って抑圧者をヒトノミに飲み込んでいく。フランス革命もアメリカの独立も、ツブヤキの集合体であるドヨメキの勝利であって、アラブの春やジャスミン革命の構造も全く同じことである。(マリアンヌ「私についていらっしゃい!!」 3) ドラクロアの絵では、その辺がちょっとズレている気がする。銃や剣をかまえて女神の後ろからついていく民衆が、あまりに勇ましく描かれすぎているんじゃないか。むしろ「導いてくんろ」「アッシらを自由の国に連れて行ってくんろ」という愚直な信仰が画面に溢れているほうが、ホントの革命の実像に近いように思う。 ま、難しい話はヤメにして、キウィ男爵の心の中を描写すれば、「女神さまよ、こ続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 21, 2012, 5:56 am
10月20日土曜日、翌日午前からの岐阜講演会に備えて、名古屋に前泊の予定である。 何しろ日曜日は、JR岐阜駅で朝9時にスタッフと合流しなければならない。岐阜に朝9時なら、名古屋発8時半。うーん、そうなると東京を朝6時台の新幹線に乗らなきゃなんない。前の晩からの名古屋宿泊も、やむを得なければやむを得ないのである。(10月21日、岐阜で講演会 1) 今から20年もむかし、予備校講師カケダシの1年間、月曜日1時間目は何と河合塾・岐阜校だった。毎週日曜21時まで東京にいなければならない都合があって、それでも月曜朝9時から岐阜で授業なんだから、8時半には校舎に入るのが常識。まして新人講師だ。ギリギリに駆けつけてOKという話にはならない。 そこで20年前の今井君は、日曜夜23時40分発の大垣行き普通列車に乗った。それが毎週のことである。いちおうグリーン車に乗ったが、大垣行き各駅停車のグリーン車座席は、昭和中期から東海道線を走り続けた骨董品。リクライニングもあるにはあるが、ホンのちょっと、気持ちばかりカクンと倒れるだけのシロモノである。 これに乗って、毎週月曜朝6時に名古屋に着いた。岐阜までそのまま乗って行ってもいいが、朝6時半頃に岐阜に着いてしまうと、どこにも行く所がなくて途方に暮れる。若いサトイモ大将は、とりあえず早朝の名古屋で降りて、何とか時間をつぶしたものである。 あれから20年、すっかり出世したクマ蔵どんは、前の晩から名古屋に入って、マリオットホテルの豪華な部屋で1晩過ごすことができる。うにゃにゃ、この世の中、がむしゃらに頑張って努力するだけのことはあるのだ。(10月21日、岐阜で講演会 2) 10月20日のキウィ閣下は、「東京で寄席を見て行こう」と決めていた。秋晴れの、暑いぐらいの陽気で、皇居の周囲のイチョウの樹々はまだ当分色づきそうにないが、「寄席でも見よう」という暢気な気分になるには、こういう爽やかな秋晴れはまさにモッテコイである。 選んだのは、皇居からすぐそばの国立演芸場。「お隣が最高裁判所」というロケーションは、出演者がネタにするのに最高だし、観客の側としても「最高裁のお隣か」と呟くだけで、何だかプロ並みのツッコミをしたような晴れ晴れとした気分になれる。(最高裁判所のお隣、国立演芸場) 出演は、五街道雲助、三遊亭圓丈、柳家小ゑん、三遊亭丈二など。小学生の頃には落語大好き、中でも柳家小さんが大好きだった経歴もある。中1の秋に「古典落語」というタイトルの分厚い文庫本(講談社)を2冊買って、「もっとマトモな本を選べ」と両親に叱られた記憶さえある。 快晴の土曜日、サトイモ大将は久しぶりの落語三昧を心から楽しんだ。最後に落語を聞いたのはいつだったかねえ。もう20年も30年も落語から遠ざかっていた気がする。昔の大御所は多くがこの世を去ったが、新しい世代も決して悪くない。これからまた、少しは寄席に足を運びますかね。 今井君としては、NHK「日本の話芸」にもしばしば顔を出す五街道雲助の落ち着いた古典落語が好き。あと、鉄道オタクを前面に出してスピーディに語る柳家小ゑんもいい。観客は、和服姿の女性が多い。この和服オンパレードはなかなかの壮観である。それだけでも目撃の価値があるかもしれない。(国立演芸場、御入口) 三遊亭圓丈が「おい、小池」を話題にコネタを盛り上げていたが、その日の夕刊で「『おい、小池』の小池容疑者が病死」の記事を発見。あまりのタイミングに、さすがの今井君もビックリ仰天であった。 日本中の小池サンが、オバQのラーメン大好き小池サンまで含めて、交番の前を通るたびにドキドキさせられた「おい、小池」のポスターは、これでやっとお役御免ということになるわけだ。(国立演芸場チケット) 夕食にフィレステーキを約250グラム平らげ、それだけじゃ何だか物足りないので、東京駅八重洲側の「黒塀横丁」で馬刺をツマミに焼酎で一杯。出張前の数時間をこうやって思いきりダラけて過ごす。中年のオジサンとして、こんなに楽しい時間は滅多にあるものではない。 20時30分の新幹線で名古屋に向かう。グリーン車も混雑していて、窓側はほぼ全席うまっている。みんな気持ちよく酔っぱらっているようで、新横浜を出たあたりから車内は安心しきった寝息とイビキに支配された。続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 22, 2012, 5:42 am
8月31日、ニューヨークのホテルをチェックアウトして、いよいよブエノスアイレスに向かう。ただし、フライトはニューアーク発夜21時なので、実際にはチェックアウト後も半日ニューヨークでブラブラすることになる。 11時半まで部屋でゆっくりして、荷物をフロントに預け、静かで穏やかなニューヨークの街に出る。平穏無事な日も今日で終わり、24時間後には恐ろしい治安情報うず巻くアルゼンチンに入る。そう思うと、この静けさ穏やかさが何とも言えず懐かしい。 「この2~3年、暴動まっただ中のアテネとか、スペインの山中を走る夜行列車とか、アイスランドの火山灰が散乱するポルトガルとか、早朝から大音量の祈りの声に満たされるイスタンブールとか、妙に危険な綱渡りばっかりしてきた」「しかし自分ももうあんまり若くない。これからの外国旅行は、ニューヨーク/パリ/ロンドン/ミュンヘン、そういう穏やかで平凡な街を、より深く歩き尽くす方向性に切り替える時が来たんじゃないか」 弱気の虫に心の底まで蝕まれた今井君は、サトイモ軍曹やキウィ男爵の面影をすっかり失って、冒険への意欲をすっかり無くしていたのである。(ウォルフギャングス・トライベッカ店のフィレステーキ300g) しかし諸君、そうも言っていられない。クマ蔵どんは、まだバグダッドとイェルサレムを旅していない。ダマスカスもテヘランも、アレクサンドリアもカサブランカも未経験。せっかくこの世に生まれてきて、地球上で最も長い歴史と豊かな文明に彩られた街々を知らずに終わらせてしまうのは、いかにも残念である。 「キミキミ、元気を出したまえ、勇気を前面に押し出したまえ。ためらうな。行け、前進だ」。サトイモ大将は自らを叱咤激励した。どんなに恐ろしいものであれ、たかが治安情報が満載されているだけで、こんなにフテくされていていいはずはないのだ。 よおし、行け。前進&前進。前進あるのみだ。クマ軍曹は今こそ自らを鼓舞し、白昼のニューヨーク攻略作戦を開始した。向かうは、トライベッカ。攻略目標は「ウォルフギャングス・ステーキハウス・トライベッカ店」。何のことはない、昨日のランチを楽しんだウォルフギャングスのトライベッカ店に過ぎない。(ステーキを横から眺めてみる) 「トライベッカ」と入力して「渡来別科」と変換する我が友=Mac君はともかくとして、トライベッカとはTriangle below Canal Streetの略称TriBecaである。同じように、SoHoといったらSouth of Houston Street。NoHoはNorth of Houston Street。ニューヨークの人は、こういう略称が大好きなようである。 TriBecaには、NYを代表する高級レストランが多いらしく、ガイドブックで読むと観光客のMustなストリートという印象を受ける。しかし諸君、Canal Streetで地下鉄を降り、熱い地上に上がってみると、どうしても「あれれ?」な感じに包まれる。(トライベッカの300gステーキ、ビアとともに) まだ再開発が続いているのか、空き地と工事現場と工事車両がヤタラに目につくのだ。目指すウォルフギャングスが見つからないばかりか、そもそも高級レストランが軒を連ねる繁華街の気配さえないのである。 トライベッカは、モトは倉庫の街だ。5年前にブレーク中だったMeat Packing Districtと同じように、「旬は去った」ということなのかもしれない。人通りもほとんどなくて、夏の直射日光の中、工事現場をかき分けて歩いていく日本人は、まさに表六玉の状態。これが夜だったら、あまりの寂しさに身の危険を感じたかもしれない。(ウォルフギャングス・トライベッカ店を発見) ま、それでも何とか今井君は、工事現場の先に目指す店を発見。13時半、ランチ続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
↧
October 22, 2012, 8:37 pm
8月31日夕暮れ、いよいよ今井君はニューアーク空港に向かおうと思う。ニューヨーク3空港のうち、JFKは東京で言えば成田空港、ニューアークとラガーディアは羽田空港にあたる。 中南米へのフライトは、アメリカ人の意識としては国内線なのだ。アルゼンチンまで10時間以上かかるけれども、「ちょっと北海道まで」「ちょっと九州まで」という感覚で、ニューアークから気軽に飛んじゃうわけだ。 (いよいよアルゼンチンへ。アルゼンチン通貨一覧) ただし、NYCからニューアークまでの道のりは決して平坦ではない。まず、タクシーの多くがニューアーク行きをイヤがる。NYCのイェローキャブがカバーできるのはあくまでNYCity内であって、ニューアーク空港があるニュージャージーはイェローキャブの管轄外なのである。 だから、ホテルのベルボーイに「ニューアークまで1台」と言ってタクシーを頼むと、露骨に困った顔をする。ニュージャージーのタクシーを、ニュージャージーから呼ぶので、クルマが来るまで相当な時間を覚悟しなければならない。 ヒルトンとかシェラトンとか、常にタクシーが長い列を作っている大型ホテルなら、こんなことにはならない。有無を言わせず乗り込んで、「ニューアーク!!」とブッキラボーに命令口調で告げてしまえば、さすがのイェローキャブ・ドライバーだって拒絶できるものではない。 しかし、タクシーの列のない隠れ家的プチホテルでは、そうは問屋が卸さない。ベルボーイにお願いして、その時点でベルボーイがニュージャージーのタクシー会社に電話する。それからノコノコNYC市内に出動するわけだ。 (アルゼンチン通貨、裏を一覧) 折悪しく、金曜日の夕方である。パークAveもマディスンAveもみんな大渋滞で、東西南北どの方向もにっちもさっちもいかない様子。ベルボーイにお願いしてから30分経過しても、ニュージャージーのタクシー会社からは何の音沙汰もない。 17時半、ついにベルボーイがあきらめて、「ニュージャージーのクルマを待っててもラチがあきません。パークAveに出て、強引にイェローキャブを止めちゃいましょう」ということになった。これがプチホテルの限界なのである。 (タクシーはいくらでもいるが...) 「プラザアテネ・ニューヨーク」を選んだのは、パリのプラザアテネ並みの堂々たるホテルと勘違いしたからである。これがそもそもの失敗であった。 今井君は某ホテルグループのプラチナメンバーであって、世界中どこへ行っても無料でアップグレードしてもらえる。チェックイン時に何も言わなくても、フロントクラークが「ジュニアスイートにアップグレードさせていただきます」とニッコリ笑ってくれる。 しかし今回はそれもナシ。ま、こんなことを言うと「贅沢すぎる」と叱られそうだが、ごく普通のごく平凡なお部屋で、一切値引きもナシ。世界中で甘やかされて、だからこんな贅沢&ワガママを言うんだろうけれども、やっぱり少し残念である。(NYCイェローキャブ。ニュージャージーには行きたがらない) しかもベルボーイのアフリカ系オジサンは、タクシーの件でかなり苛立っている。「次回ニューアークを利用する時は、半日ぐらい前にフロントで予約してください!!」と強い口調でアドバイスをくれた。うにゃにゃ、知らないこととは言いながら、マコトに迂闊で、マコトに失礼した。 しかし、イェローキャブは1台たりとも止まらない。今井君が下手なのではない。ベルボーイオジサンが一緒にいてくれて、彼が懸命に手を挙げるのだが、ほぼ全てのクルマが乗車拒否して走りすぎていく。 「ニューアークまでなんだけど」とベルオジサンが言うと、ドライバーたちは「いやはや」という感じで首を横に振り、渋滞の海に向かって再びゆっくりと漕ぎだしていく。 空港まで電車利用に切り替えて「ペン・ステーションまで」と言ってみたが、それもニヤニヤ笑いで無視。いったいどこなら客を乗せるのか分からないが、マコトに無礼千万な態度である。 (プラザアテネのロビー。ここでタクシー到着を待ち受けた) 「白タク」ならば、5分の間に2台が今井君に誘いをかけてきた。2台ともベンツ、それもかなり高級なベンツである。「どこへ行くんだ? どこへでも乗せますよ」と言うのであるが、これはベルオジサンが完全に無視。「白タクだけは絶対にいけません」という恐ろしい剣幕である。 やがて、「あなたはホテルロビーで待っていてください。5番街のほうでイェローキャブを探してきます」と言って、ベル続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 23, 2012, 6:41 pm
アメリカとアルゼンチンは経度がほとんど違わないから、飛行機で10時間の旅をしても時差ボケということはない。昨夕ニューヨークでの移動で悪戦苦闘したおかげで、実にグッスリと眠れた。エコノミー席でつっぱらかっていたにしては、奇跡的なことである。 窓の下には、南米の湿地帯が延々と広がっている。ラ・プラタ河はもちろん大河。しかしその支流パラナ河も予想外の大河。そのまた支流が4重にも5重にもクネクネ絡み合って、ガウチョとウシたちが大活躍するパンパは、広大な湿地帯に囲まれているのである。(アルゼンチン。「地球の歩き方 アルゼンチン」より) こうして、とうとうブエノスアイレスに到着。午前10時。滑走路に向かって高度を下げていく飛行機から見えるのも、再び広大な湿地帯であって、朝日にきらめく沼地からは、たくさん樹々が喘ぐように空に向かって枝を広げている。 さて、いよいよだ。入国審査の係官が少ないせいで時間がかかってしまったが、審査自体はスムーズ。「いったい何でアルゼンチンなんかに?」「この国は10年前にデフォルトして、今も経済危機ですよ」「観光地なんか、ほとんどありませんよ」みたいな疑いの目は感じなかったし、余計な質問をされることもなかった。 バゲージもすぐに出てくる。「バゲージが出てくるかどうか」は外国旅行で一番心配な瞬間であるけれども、何しろ今井君はプライオリティ・メンバーだから、いつでも誰より先にボクチンの荷物がコンベヤに出現することになっている。(泥の色の運河) 空港の外に出る前に、まず両替を済ませてしまう。バゲージクレームのすぐ脇に両替所があって、そこなら空港の外にタムロしているヒトビトの目に触れずにアルゼンチン・ペソを手にすることができる。持ち込んだアメリカン・ダラーは1000ドルであるが、とりあえずそのうち300ドルをペソに両替した。 いやはや、出された50ペソ札20枚ほど、全てヨレヨレ&アブラでネロネロである。ちぎれる寸前のものもあれば、もうとっくにちぎれちゃったのを、セロテープで補修したのもある。ヨーロッパなんかでも、ワザワザお札に数字をメモしたのに出会うことがあるが、アルゼンチンではそういうのがいっそう多い。 両替所のお姉さんにお願いして、ちぎれたお札&ちぎれそうなお札を5~6枚、いくらかマシなお札にとっかえてもらう。お姉さんもとっくに慣れたもので、イヤな顔一つしないでホイホイ取りかえてくれた。(アブラでネロネロなお札たち) さて、こうして両替も無事に済んだ。早速お札を汚くポケットに捩じ込んで、「いやあ、ボクはお金持ちじゃありませんよ」「この国も、アタシゃすっかり慣れたもんです」という顔をしてみせる。 大事なのはここである。何しろ服装は、上から下まですべて断捨離寸前のものでまとめてきた。あとは、「いかにも地元民」という態度だけなのだ。財布なんか出して、お札をキレイに&丁寧に財布に並べたりすれば、誰もが「ははーん、日本人観光客ね」と気づく。「狙ってください、私はカモです」と、態度で宣言しているようなものである。 意を決して空港の外に出る。ここから1時間が「最も危険」と言われている場面。気持ちはヨロイなりウロコなりでしっかり武装して、空港にタムロするヒトビトの波をかきわけていくことになる。(ファエナ・ホテル。巨大倉庫を改装したホテルである) まず、レミースを予約する。諸君、市内に入るには、タクシーではなく「レミース」を使う。タクシードライバーの中にはいろんな犯罪と関係のある者がいて危険。組織犯罪と関係がなくとも、個人で悪さをする人もいる。少なくとも治安情報ではそうなっている。 そこで、レミースの出番になる。まず、料金でモメたり「ボッた」「ボられた」というトラブルにならないように、行き先によって料金は定額。カウンターで先に支払いを済ませてしまう。割高だが、クルマの中での金銭の受け渡しが一切必要ないから、安心だ。(ファエナホテル到着直後に自分撮りしたサトイモ男爵) カウンターで予約すると、スーツ姿のドライバーがすぐに現れ、クルマに案内される。英語ばかりか日本語を話せるドライバーもいるらしい。クルマは一般車であって、外から見るとタクシーでもないし、レミースとも分からない。 「タクシーを襲ってドライバーを拘束し、客から金品を奪う犯罪集団が横行」。そういう治安情報も流れている。しかもその場合、実はタクシードライバーも犯罪に加担していて、強盗集団の待ち受ける場所にワザとクルマを向けるということらしい。 ならば、「外から見てタクシーとハッキリわかる」というのが最も危険なわけである。レミースの外見が完全に一般車と同じなのは、その種の犯罪から身を守るにはそれがベスト、ということである。キウィ軍曹が乗り込んだのは、シルバーのシトロエン。ドライバーの態度も、抑制の利いたたいへん上品なものであった。(さっそくステーキを食べにいく 続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧
October 24, 2012, 8:46 pm
10月23日、熊本で講演会があって、昼過ぎの飛行機で九州に向かった。熊本までの直行便はいくらでもあるが、本部から送られてきたチケットは福岡経由。飛行機で福岡まで行って、福岡からは新幹線というルートである。ま、まだまだピカピカの九州新幹線にも乗れる。それもいいだろう。 羽田までは毎度お馴染みの定額タクシーに乗る。高速代もコミで6800円はお値打ちだ。代々木上原から普通にメーターを回していけば、メーターだけで9000円。これに高速代+予約料金で10000円を軽く超える。「定額で予約します」と電話口でヒトコト言っただけで、約4000円も得をすることになる。 (10月23日、熊本で講演会 1) もちろん、いつもいつもこんな贅沢をしているわけではない。忙しくさえなければ&疲労さえなければ、キウィ閣下だって羽田までチャンと電車で通うのである。しかし諸君、今やキウィ閣下の多忙度&疲労度は頂点に達している。若干の贅沢は、神様もホトケサマもみんな許してくださるはずだ。 「多忙」と言えば、みんな現在のことだけを思い、「疲労」というコトバを聞けば、誰もが過去を振り返る。しかし諸君、さすがクマ蔵先生は視点が一段高い所にあって、多忙といっても疲労といっても、視線の先にあるのは近未来のこと。つまり、常に近未来を見据えつつ、「疲労が蓄積して将来の仕事に支障をきたすことがないように」と注意を払うのである。 諸君、ここから先1週間の今井君のスケジュールをここに披露する。我が友Mac君なんか、今井君の疲労を心底から気遣ってくれていて、「スケジュールをここに疲労する」と変換してくれる。披露も疲労もイッショクタになるぐらい、ここから1週間のクマ蔵スケジュールは多忙を極めている。 (10月23日、熊本で講演会 2)① 10月26日:午前から午後にかけ、東京広尾の日本赤十字病院・医療センター。午後1時半から大阪に移動。19時から大阪で講演会。② 10月27日:大阪から静岡に移動。静岡で16時半から18時まで本科生対象のナマ授業。19時半から21時まで講演会。最終の新幹線で帰京。③ 10月28日:13時から19時まで、吉祥寺のスタジオで授業収録・90分×3本。④ 10月29日:13時から17時まで、吉祥寺のスタジオで授業収録・90分×2本。ダッシュで千葉に移動(果たしてホントに移動できるのかい?)。19時から千葉で講演会。⑤ 10月30日:午前から午後にかけて広尾の日本赤十字病院・医療センター(おそらく)。午後から名古屋に移動。夕方、名古屋から三重県津に移動。19時から津で講演会。終了後、またまたダッシュで名古屋に移動。⑥ 10月31日:名古屋から木曽山脈を越えて長野に移動。16時半から長野で本科生対象のナマ授業90分。19時から講演会、これもまた90分。⑦ 11月1日:長野からいったん帰京。19時から神奈川県海老名で講演会。⑧ 11月2日:大阪に移動。夕方、大阪から堺に移動。19時から堺で講演会90分。終了後、ダッシュで大阪に戻る。翌日朝に帰京。 (10月23日、熊本で講演会 3) いかがでござる? これでも「タクシーなんて贅沢だ」「電車移動以外は認められませぬ」と厳しくおっしゃるのでござるか? しかも諸君、ほぼこんなスケジュールのまま、サトイモ大将は12月21日まで全国を走り回るのでござる。 これに、やれフジテレビだ、やれ日テレだ、そういう類いの楽しいスケジュールも追加。こりゃ嬉しいことこの上ないけれども、だからこそ、常に近未来を見据えながら、疲労で仕事がチャンと出来なくなる事態に陥らないように、贅沢は承知の上でタクシーを使い、チョイ贅沢は百も承知で焼き肉とステーキを食らいまくり、超贅沢は承知の上で高級ホテルのデラックスツインにシングルユースで宿泊する。まあ、許してくれたまえ。 (タクシーから熊本城を眺める) 10月23日は、寒冷前線の通過に伴って、日本列島は西のほうから順繰りに大荒れの天気になった。今井君が訪れる半日前には九州が大荒れ。今井君が九州に向か続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
↧