12月10日夜、昨夜に続いてクマはすっかり野生に戻り、少しずつ欠けていく月を眺めながら、家の前の路上で酔っぱらっていた。手にしていたのは焼酎のお湯割りである。外があんまり寒いので、焼酎は濃いめに、しかし熱湯もタップリ注いで、とにかく身体の中から暖めることに全力を注いだ。 近所のヒトたちも何度か外に出てきたけれども、みんな寒さに驚いて、すぐに暖かい家の中に戻っていった。向こうの方で2階の窓が開き、「うわ、スゴいや」と「うわ、寒いや」の声が交錯して、あっという間に窓はしまってしまった。 だから、完全な皆既食になる瞬間は、クマ蔵ただ一人が代々木上原の路上に立ち尽くしていたのである。ちょうど日付が変わる頃で、月は中天にあり、右の端にわずかに残った輝きが消えると、月は赤い魚卵を一つ、夜空に浮かべたように見えた。(箱づめニャゴ) こりゃ、落ちてきそうである。しかも、たとえこっちに向かって落ちてきたとしても、ピンポン球か小さなお手玉みたいに軽やかにバウンドして、また冷たい夜空に戻っていきそうである。 魚卵として食べてみても、まあその辺の普通の魚卵みたいなもので、旨くもマズくもなさそうだ。魚卵に見えてしまったのは、手にした焼酎のせいだったかもしれない。この日はもう濃いお湯割りを6杯も7杯も飲み干した後で、「何か濃い味のツマミはないか」、クマ蔵の心はひたすらツマミを求めていたところだったのだ。 せっかく赤い皆既食を見たら、せめて宇宙の神秘とか、無限とか、かぐや姫のこととか、そういう高尚なお話に頭が満たされていくのが常識なのだろうが、諸君、クマ蔵はやっぱり野生のクマなのだ。首が痛くなるほど夜空を見上げ、風邪を引きそうなぐらい凍えながら、頭の中はひたすら「魚卵」に占められていた。(午前3時の熟睡ニャゴ) この夜の今井君の出で立ちをみたら、周囲のヒトたちは腰を抜かしたに違いない。まず、ジャージ上下。その上にチャンチャンコ。チャンチャンコの上から昨日のブログに示した「20年目のコート」を羽織った。足は、メンドクサイのでサンダル。手には、湯気の上がる焼酎の茶碗。想像してみたまえ。挙動不審で尋問されてもおかしくない。 月が欠けていくに連れ、周囲の星の輝きも凄みが増していった。今井君は高校の地学の授業を怠けたけれども、小学生時代に「気象と天文の図鑑」をほとんど暗記するほど何度も何度も眺めていたから、星座とか、星の温度とか、距離とか、その手の話には強い。 ひけらかすのはヤメておくが、月が欠け、光が次第に弱まっていくに連れて、最近の東京では滅多に見られないほど数多くの星が、スゴミのある光を放ちはじめたのが嬉しかった。オリオン座しか知らない人だって、あの夜は感激に黙りこくってしまっただろう。 皆既食中の魚卵の月は、時間が経過するとともに球の感覚を失って、オレンジ色の丸い板状に変わっていった。球から円へ、こうなると「落ちてくるよ」「降ってくるよ」という切迫感が緩んだ。 すでに外に出て1時間、サンダルの足が寒さに痺れ、首が痛くなって後ろにひっくり返りそうになった短足クマどんは、そろそろネグラに戻ることを考えはじめた。切迫感こそ感動の根源であって、オレンジ色の丸い板なんか眺めていたら、皆既食になった瞬間のスゴミを忘れてしまいそうである。(ナデシコによるアイロン台占領) 小学何年生の時だったか、優秀な今井君は「かいき月食のきろく」を先生に提出したことがある。当時は秋田市土崎港の国鉄職員宿舎に住んでいて、近くの2階建て独身寮の外階段から一晩中観察、チャンと絵日記みたいに経過を記録して、翌日1時間目に意気揚々と提出したわけだ。2階建て独身寮は続きをみる
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